

☆仙台藩3代藩主・綱宗は、酒癖・素行が悪く引退に端を発する
(家臣が幕府に働きかけ、綱宗は逼塞の下命を受けた)
☆藩主の地位を追われた綱宗に代わり、長男亀千代が幼くして後を継いだ
☆伊達宗勝は、幼君の後見の立場を利用して権勢をむさぼり藩を危機に立たせた
(自らの意のままに動く家臣団を形成し、専制体制を整えていった)

☆伊達宗重は、宗勝の専横を幕府に上訴
☆宗勝派の原田が、宗重を殺害する刃傷事件が発生した
☆事件の責任を問われた宗勝は、土佐へ配流となり改易となつた

☆当時の大衆の興味もひき、歌舞伎狂言の題材にもなった


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伊達宗勝(悪政者・悪役)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)