
☆神武東征は、中世に生まれた伝説
☆皇国史観の時代の教科書には記載されていた
*神武天皇は、大軍勢を率いて日向国の美々津港から船出
*大和を征服し日本を建国したと書いてある
☆「記紀」を読めば、そんなことは書かれていない

☆崇神天皇が、大和朝廷の創始者(大和を統一、吉備や出雲まで勢力圏に入れた)
*先祖の神武天皇は、日向出身で少人数で故郷を出奔
*現在の橿原市あたりに小さな領地を得たらしいと書かれている
☆九州の王国が、東遷したのが大和朝廷とは考えにくい
☆大和朝廷が、自分たちの由来を語る記録の中で
*列島の東と西の地域を征服し、朝鮮半島にまで進出したと記載
☆大和王朝が、九州の王国が東遷したのだつたらこんな主張しない

☆『日本書紀』に書かれている天皇家の系図が正しいと仮定
*長すぎる寿命を補正して調整する
☆崇神天皇が、4世紀中盤に活躍し大和朝廷が北九州を支配下に置いた
*卑弥呼は、大和朝廷が北九州に来る少し前(約1世紀)に死んだ
☆邪馬台国が畿内なら、勢力が北九州まで伸びていたのは不可能
☆邪馬台国が、九州にあつたのなら大和朝廷との接点はそもそもない
☆考古学者には畿内説をいう人が多い
*畿内の遺跡のほうが立派なので畿内説を唱える
*彼らには、邪馬台国の九州説を否定する理由がまったくない


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