

☆武家の名門一色氏一門に生まれ、南禅寺や醍醐寺三宝院で修行する
☆37歳で臨済宗五山派の最高位南禅寺の住職となる
☆徳川家康に招かれ、外交事務を任される
☆幕政にも参加し、天下の国政に深く関わる

☆「諸宗寺院法度」「禁中並公家諸法度」「武家諸法度」など幕府の基本方針の起草、制定
☆豊臣秀頼が方広寺大仏復興の「国家安康 君巨豊楽」に言いがかりをつけた
(大坂冬の陣のきっかけを作った)
☆朝幕関係で、最大の確執紫衣事件が起こる
(崇伝は、沢庵と玉室を流罪に追い込み厳しさを見せた)
☆家康の窓口を務めるほどの権勢から、民衆には「欲深き悪僧」と囁かれた
☆南光坊天海とともに「黒衣の宰相」と呼ばれるほどの力を誇る

☆崇伝は神号を明神として祀ろうと主張
☆権現を主張する天海と争うが最終的に敗れる
☆天海にその地位を奪われることとなってしまう


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金地院崇伝(黒幕・悪政者)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)