

☆薩摩藩の下級武士であった西郷隆盛
☆藩主・島津斉彬の目にとまり抜擢され、重要な役職に就く
☆斉彬が失脚した際、主君に忠誠を誓った西郷は心中を図るも生き残り島流しされた
☆その後、再び騒動を起こし2度目の島流しにまで遭う
☆そこで生まれたのが「敬天愛人」という思想(西郷の人間像を形成した思想)
☆江戸幕府を倒し、天皇親政による明治という新体制を樹立した功労者

☆鹿児島に創設した私学校の生徒に担がれて「西南戦争」を起こし賊臣となった
☆明治天皇は、西郷自決の知らせを受けたとき「西郷を殺せとはいわなかった」と無念の涙を流した
☆「大日本帝国憲法」が発布されると、天皇は西郷を西南戦争以前の「正三位」に復位させた
(賊臣という汚名から解き放ったのである)

☆お天道様に見られても恥ずかしくない行いをせよ
☆どんな人にも分け隔てなく誠意をもって接すること
☆天は見ている、1人のときも行いを慎むこと

☆新政府軍に立ち向かった幕末“最強”の庄内藩
☆「本間様には及びはせぬが、せめてなりたや殿様に」酒田の本間家は「日本一の大地主」
☆戊辰戦争で、最後迄戦った庄内藩の敗戦に対して、西郷は寛大対応をした

☆本人は政府軍と戦争をする為に私学校を設立したのでは無い
☆政府の要人達は「維新で身分を失った全国の不平士族が放棄」を懸念した
☆政府は、西郷の暗殺部隊の藩内への侵入させ「政府非道」の見聞を広めた
☆政府は薩摩にある弾薬庫の移動を行い、若い私学校生徒達が騒動を起こす


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「江戸の功臣、明治の賊臣」西郷隆盛(『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』より画像引用)