

☆関東の武士の一族の出身、相国寺雲頂院で「観音図」「十六羅漢図」の壁画を手がけた
☆中国の絵画様式を学び、肖像画のうち「足利義尚像」が現存する

☆父・永徳とともに安土城や大坂城の障壁画を制作した
☆永徳没後、一門を率いた

☆秀吉に使え、画才を認められ、推挙されて永徳の弟子となった
☆多忙の中で倒れた永徳に代わって東福寺法堂の天丼画を手がけた

☆家康に謁見、その後御用絵師となる
☆狩野派絵師が徳川家の御用を務める端緒を開いた


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狩野派(正信・光信・山楽・長信)(『「技」の巨匠100人』記事より画像引用)