

☆立憲君主制国家で、通称マグリブ王国(日の没する地を意味する)
☆首都 ラバト(最大の都市カサブランカ)、国土は、日本の約1,2倍、人口約3千5百万人
☆政府、国王(ムハンマド6世)、GDP 約16兆円

☆ボリビリス遺跡(モロッコ最大のローマ遺跡)
☆フェズの旧市街(世界最大の迷路と言われている旧市街)
☆アイス・ベン・ハッドウー(7世紀先住民が造った要塞)
☆ジャマ・エル・フナ広場(大道芸人や屋台などで賑やかな旧市街)

☆国民のほぼ全員がスンニ派のイスラム教徒
☆人口比率(アラブ人65%、ベルベル人30%、その他5%)

☆ベルベル人がモロッコに現れ、カルタゴのフェニキア人の港湾都市が栄えた
☆カルタゴが滅亡すると、モロッコローマ帝国の属国となる
☆ローマ帝国→東ローマ帝国→ウマイヤ朝と変遷

☆アラブ人が、西ゴート王国を滅ぼしイスラーム化を進めた
☆後ウマイヤ朝→ムワッヒド朝→マリーン朝→ワッタース朝→サアド朝→アラウィー朝と変遷

☆アフリカ分割の中で、モロッコもヨーロッパ列強の標的となる
☆フランスがモロッコにおける優越権を獲得しフランスの保護領となる
☆反乱より、リーフ共和国の建国したが、スペイン軍とフランス軍に敗れリーフ共和国は崩壊

☆ゲリラ闘争とスルターン働きでフランスから独立、スペインもスペイン領の領有権を放棄
☆スルターン・ムハンマド5世が国王となり、ハサン2世は、親西側政策でモロッコを統治
☆ハサン皇太子がムハマンド6世として国王に即位し、立憲君主制国家に移行
☆西サハラ問題は現在に至るまで未解決


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モロッコ旅行1(WIKIPEDIA、地球の歩き方(モロッコ)、JTBパンフレット記事より画像引用)






