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新皇統を生んだ鷹狩り「雨宿りの奇縁」
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「鷹狩り」に行き、一夜を共にした下級武士娘の孫が、醍醐天皇になりました
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チャンスが有れば、もう一度京都山科の名刹勧修寺行きたいと思います
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勧修寺の宮道神社(引用)
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宇多天皇
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歴代天皇の中でたった一人、「臣下」から天皇になったのは宇多天皇だけです
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父帝は、皇位には、遠い存在でしたが、思いがけず天皇の位に就きました
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陽成天皇が、不祥事を起こし退位したので、宇多天皇父光考天皇が後継者となりました
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宇多天皇の父、光孝天皇は即位したとき、55歳でした
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「中継ぎ」を自認し、自分の皇子や内親王を臣籍に降下しました
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宇多天皇は、源定省と名乗り、天皇の侍従をつとめていました
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実力者藤原基経は、宇多天皇を親王に戻しました
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宇多天皇は、政治に意欲を燃やし、優れた学者である菅原道真を重用しました
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その治世は「寛平の治」と呼ばれて人々の暮らしも安定しました
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天皇は源定省時代、藤原高藤の娘胤子と結婚していました
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彼女の母親は、下級武士宮道弥益の娘でした
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高藤が鷹狩りで、雨宿りで一夜の契りで誕生したのが胤子でした
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胤子は、宇多天皇との間に4男1女をもうけ、息子の即位を見ぬまま亡くなりました
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4男の一人が醍醐天皇です
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弥益の屋敷は一族を守る寺とされ、名刹勧修寺としていまに伝わっています