
☆国歌作成の目的は、皇統の永続性を願って作られた
*歌詞は『古今和歌集』に収録されている短歌の一つを採用
*宮内省伶人長の林広守が作曲
☆祝日大祭日唱歌として公布され、事実上の国歌となった
☆平成11年施行の「国旗国歌法」で法制化された

☆初代作曲者はイギリスの軍楽隊長ジョン・ウィリアム・フェントンにより作曲された
☆軍楽隊長は、イギリスより横浜に赴任しイギリス大使館護衛部隊となった
☆軍楽隊長は、薩摩藩士に軍楽の指導を行ないう
☆軍楽隊長は、「日本の軍楽隊の父」又は「日本の吹奏楽の父」と呼ばれる

☆ヴィクトリア女王の次男エディンバラ公アルフレッドの来日が決定した
☆軍楽隊長は、儀礼式典での国歌吹奏を説明したが、日本に国歌の概念がなかった
☆薩摩藩軍楽隊は、「列強各国に肩を並べるためには国歌が必要である」と訴えた
*薩摩藩軍楽隊の教師は、イギリス軍楽隊隊長のジョン=ウィリアム・フェントン
☆フェントンは日本側から作曲の依頼をされたあ
*『武士(もののふ)の歌』を参考に『君が代』を作曲した

☆フェントン作のメロディは日本語を知らずに作曲した
☆評判が悪くあらためて作曲したメロディが今の君が代


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「君が代」明治維新後に曲がつけられ国歌として扱われる
(『テレビ朝日じゅん散歩』テレビ画面、ネットより画像引用)