

☆今の人間は、霊に「いのちエネルギー」を吸収するのがむずかしい状態にある
☆意識を創主からそらしてしまっているために、意識波動が創主と不協和になっている
☆不協和な意識状態になので、いのちの充電が途絶え、霊に死の領域が形成されている
☆意識(霊)がそういう状態になっていることを、聖書では「罪」という
☆一般的に「いのち」「死」ふだん使っている言葉の意味とはかなり違っている

☆聖書の「罪」の考え方は、三重構造
(原罪・思いの罪・行いの罪)
☆中心部に位置するのが「原罪」だ

☆「原罪」とは、創主から意識をそらし、いのちが吸収されなくなっていること
☆人間の霊には、いのちエネルギーの”充電不全部分”が形成されることになる
☆創主を意識から閉め出すこと
*もう知恵ができたから、自分で判断できると思うこと
*アダムとイブはそれをやり、悪魔がイブを誘惑してやらせてしまう
☆原罪は「よからぬ思い」を果実のように派生させる

☆聖書の次の道理だこれが第二層の「思いの罪」
☆いのちエネルギーの欠けた「死」の部分より、「汚れた」意識が形成される
☆聖書では「いのちの欠如=死=汚れ」という思想
☆イメージは、この世のギラギラした欲望に満ちたような意識となる
☆原罪が「死」をつくり、原罪が「よからぬ思い」を派生させることになる

☆「思いの罪」一番外側の層の「行いの罪」が派生する
☆旧約聖書における「罪」は、基本的にこのたぐいの罪に対応している
*それを規定しているものを「律法」
*シナイ山でモーセに創主から与えられた「十戒」を意味する

☆「十戒」反しないよう心がけ、自らを”罪なき者”と思っていた
☆イエスが現れて、行いだけではなく「その思い」も罪になると教えた
*「女を見て姦淫の情を抱けば、姦淫の罪を為したことになる」という教え等
☆新約聖書では「思いの罪」が追加されている(イエスの宣言の主旨)
*人間が未熟な間には、まず「行い」を規定する律法が示される
*それは本来「思い」をもカバーするもの

☆聖書ではア、ダムとイブから子孫が増え、今日のわれわれに至っているとなっている
☆聖書の思想は、子孫の霊は、アダムという幹から枝が分かれし次々に分離していく
☆アダム同様、すべての人間は、生まれる前から充電不全の霊を受け継いでくる
☆聖書で「人はみな罪人」というのは、そうした筋道のもとにいわれていること


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キリスト教の三つの「罪」(『聖書が面白いほどわかる本』記事より画像引用)