

☆バイブル全体を貫く大前提は「人間は肉体と霊とから成っている」との人間観
*現代日本人の多くが思うのは、人間は肉体だけから成っているという考えだ
☆聖書では「肉体」「霊」のうちでは「霊のほうが本質的」だと考えられている
*肉体は百年もすれば、死んでなくなってしまう
*霊のほうは身体を抜け出して永続するという思想

☆聖書では「人間の”意識の本体”も霊のほうにある」と考える
☆簡単に言えば「死んでもわれわれの意識はなくならない」ということ
*聖書のいうように死んでも意識は存続するなら、自殺もできなくなる

☆肉体が生きている間の意識のあり方も、霊をベースにしているという考え方
☆聖書を理解するには「霊こそが本質」という思想を押さえておくのが必要
*認識してないと、イエスの教えを”現世的な処世訓”道徳論に解釈してしまう
☆日本では、”現世的な処世訓”と解釈する信仰者が多い

☆霊は目に見えない存在で、肉体を構成する原子や素粒子の何万倍も微小な超微粒子で構成されてる
*霊的現象を研究するサイ科学会では、それを「サイ粒子」と呼んでいる
☆肉体と霊との関係は、森林とひとまとまりの霧のようなものだとイメージできる
☆霊は、姿形も大きさも肉体と同じぐらい

☆聖書には「肉体は、霊が入っていることによって生かされている」という思想がある


☆聖書では「霊」を大切なものとして考え、「霊」にエネルギーを与えてあげることが必要
☆「霊」にエネルギーを与えてたのが「いのち」
☆「いのち」は、聖書を理解する上できわめて重要なキーワードだ
*肉体は食物と水が与えられないと、活力を失つていく
*霊にも、いのちを与えないと活力が減退していく
*霊のエネルギーは、創主から全空間にあまねく放射されている
*問題なのは、被造物の霊がこれを吸収するかどうかだ
*吸収すれば、生き生きとした「活霊」、欠乏すれば力ない「死霊」になる
*「活霊」であるためには、いつも十分に充電されていなければならない

☆創主からもまた、その意識状態に応じた波動が出ている
☆人間の霊の意識波動と創主の意識波動の形が類似なものとなり協和することがある
☆「霊の意識状態が、創主の意識と協和しているとき」充電されるという思想
☆そのとき、いのちエネルギーはその人の霊の中に浸透していくというイメージ


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