
☆国宝の金印「漢委奴国王」は弥生時代に、中国の皇帝から与えられたとされている
☆江戸時代の中頃、現在の福岡市の志賀島で農民が土の中から見つけた
☆正方形の印面は1辺が2.3センチ、重さ108グラムの純金製
☆蛇の形をした「つまみ」があり、印面には「漢委奴国王」の文字が彫り込まれている
☆「漢に朝貢する倭の中の奴国の王」という意味)
☆九州北部の「奴国」が中国の王朝と交流していたことを物語る
☆歴史的価値の高い資料として、国宝に指定されている

☆金印に残る彫り痕の特徴が古代中国で作られたとされる印と大きく異なっている
(後世の偽造品?)
☆志賀島の金印は、文字の中心線を彫ったあと、「さらい彫り」の技法が使われている
☆中国の「広陵王璽」印は、たがねで文字を一気に彫り進める「線彫り」
☆「さらい彫り」やこうした文字の特徴は江戸時代の印によく見られていた
☆「金印は江戸時代に作られた偽物の可能性が非常に高い」と指摘

☆文字の特徴や飾りの形、金の純度などを挙げている
☆文字は中国の後漢初期の文字の特徴をよく表している
*志賀島の金印は、「漢」の字の「偏」の上半分が僅かに曲がっている点
*「王」の真ん中の横線がやや上に寄っている
☆蛇の形をした「つまみ」は、中国で発見された同じような形の印と特徴が近い
☆志賀島の金印の金の純度は90%以上と古代中国の印とほぼ同じ
*江戸時代に金の純度をまねてまで作ることはできない
*後漢のものだとして何ら問題がない

☆金印の発見時の様子が分かる古文書は複数ある
☆発見した農民の口上書、学才を備えた学者の鑑定書も残っている
☆発見されたとされる場所は不明確でそれらしい遺構もない
(出土品もほかにない)
☆金印を発見した農民「甚兵衛」が実在したかどうかを怪しむ

☆「委奴」の「委」は「倭」を省画したもので日本を指す
☆「奴」をどう理解するのかが、よくわからない
☆今日では、一般に「漢の委(わ)の奴(な)の国王」と読んでいる


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金印は本物? 真偽めぐる論争過熱
(BSTBS諸説ありテレビ画面より画像引用)