
☆織田信長が倒れ、その後継者を巡る戦い
(羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康の間の争い)
☆戦術的には織田・徳川連合の勝利、戦略的には羽柴秀吉の勝利
☆豊臣秀吉は関白になる
(征夷大将軍になれなかった秀吉、天下に号令する為には官職に就かなければならない)

☆本来主筋の信長の次男信雄はよく思わなく、家康を頼る
☆家康は「秀吉包囲網」を形成
(越中の佐々成政や紀伊の傭兵・雑賀衆や根来衆、関東の北条氏政、四国の長宗我部元親らと)
☆家康は出陣し小牧山城を占拠、大坂から秀吉が到着し両軍睨みあいの状況
(秀吉軍は約10万、織田・徳川連合軍は、約2万の兵力)
☆戦いの膠着状態後、秀吉が信雄に和睦を申し入れ、信雄もこれを受諾
☆家康は戦争を続ける大義名分を失い撤退を余儀なくされた(8ヶ月間の戦い終了した)

☆織田家における後継者争い2人負け組
☆織田信長の次男なのに、小牧・長久手の戦いで敗れ秀吉への臣従を余儀なくされた織田信雄
☆関東の覇者の五男に生まれ、秀吉の小田原征伐で開城を余儀なくされた北条氏規

☆秀吉が、征夷大将軍になれなかったのは、小牧長久手の戦いで勝利できなかったから
☆征夷大将軍になる条件は、関東東北の制圧(源頼朝や足利尊氏はそれを成し遂げた)
☆秀吉は、家康に阻まれてうまくいかなかった
☆秀吉が、天下に号令する為には官職に就かなければならない
☆秀吉が目を付けたのが、摂家の争いでそれに乗じて関白になる
☆秀吉は関東東北を制圧し天下を統一した
(関白になったので格下の征夷大将軍になる必要はなかった)
☆家康が、秀吉の臣下になったのは、調略によるもので戦に敗れたからではない


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尾張を中心に起こった「小牧・長久手の戦い」(BSTBS諸説ありテレビ画面より画像引用)