
☆新たな史料の発見により、忍者の真実の姿が浮かび上がる
☆今回の諸説は3つ
*徳川家康を救った「神君伊賀越え」は 本当は「甲賀越え」
*忍者の中には、明治まで活躍し黒船にも潜入した忍者もいた
*聖徳太子も使っていた忍者のルーツは大陸にあった

☆日本発症は、インド発祥説、中国発祥説がある
☆飛鳥時代に、聖徳太子が、大伴細人を「志能備(しのび)」として用いた
☆各地の忍者(伊賀・甲賀・雑賀、柳生・根来等)
☆飛鳥時代から江戸時代大名や領主に仕えられたり独立し仕事をしていた
(諜報活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺等)
☆忍者は、領主に仕えずに戦毎に雇われる傭兵のような存在
☆伊賀衆甲賀衆のような土豪集団とただのごろつき集団もいた
☆戦には足軽として参加し、夜討ち朝駆けといった奇襲撹乱を得意とした
☆忍者には、忍びが集団で常時雇われたり、合戦前に忍びとして雇われたりした

☆伊賀国の服部氏族の三男は、能役者観阿弥で、母は楠木正成の姉妹
☆観阿弥の息子・世阿弥も「先祖は服部氏」と自称していた
☆伊賀国では、藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍を支配していた
☆信長が大軍を編成し攻め込み伊賀国の忍者集団は壊滅的な打撃を受けた

☆伊賀衆は、徳川家康を護衛して甲賀越えを行なった
☆伊賀衆は、徳川幕府に召抱えられるようになった
☆幕府に甲賀越以前からの家臣であった服部半蔵は重用された
(江戸城の城門の一つにその名が付けられた)
☆忍者は、徳川幕府のために諸大名の内情を探る
(同心として江戸城下の治安の警護に当たった)
☆江戸時代の探検家・間宮林蔵は、幕府の隠密で忍者だった
☆マシュー・ペリーの率いる黒船が浦賀沖に来航
(船上パーティーに日本側随員として参加し、パン、タバコ、蝋燭、便箋を持ち帰った)

☆明治新政府へ政権が移ると、警察、日本陸軍、日本海軍が創設され、忍者もその役目を終える
☆明治末期〜大正年間には立川文庫の作家たちにより
(猿飛佐助、霧隠才蔵など忍者ものが創作され人気を博した)


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あらゆる活動は秘匿とされていた忍者の活動(テレビ画面より画像引用)