
☆明治琉球藩は廃止され沖縄県が誕生
☆沖縄県の人々は、重い税(人頭税)と風土病に苦しんでいた
☆笹森儀助は、沖縄の島々の窮状を世に訴えた
☆笹森等の努力により、人頭税はその後廃止された

☆青森県弘前の士族の家に生まれた
☆北海道の千島探検の記録を出版して、天皇に奏上されるほど評価を得る
☆内務大臣から、沖縄の調査を依頼され沖縄探検に出発する
☆現地で笹森が見たのは、厳しい自然、人頭税という重い税に苦しむ人々の姿
☆笹森は、奄美大島の島司や第2代青森市長も務める

☆笹森は与論島・沖永良部島・徳之島・奄美大島にも立ち寄った
☆砂糖の売買権を鹿児島の商人が独占している
☆島民は困窮にあえいでいることなどを記録している
☆この経験が買われ、笹森は奄美大島の島司に就任

☆大島島司辞任後の笹森は、日本語学校建設のため朝鮮北部の咸鏡道へ渡る
☆城津(現・金策市)で城津学堂という学校を開いて学長となる
☆初代青森市長の推薦などもあり、第2代青森市長に就任
☆青森市では多額の税金未納が問題になっていた
(未納分の多くは職員によって横領されていた)
☆笹森は、これを厳重に処分することで問題の解決を図る


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辺境の声を聞け(ネットより画像引用)