

☆木曾義仲は、自身が庇護していた北陸宮を天皇にしようとした
☆一介の武士が皇位継承問題に口を出した
☆公卿たちから、歴史への知識や教養がない傍若無人な輩として疎まれあ
☆京中の治安回復にも失敗し、運上物が減り食料事情は悪化していた

☆立場が危ういと感じた義仲は平氏討伐に向かう
☆義仲不在のうちに法皇は頼朝を優遇するようになった
☆法皇と義仲の仲は決裂する
☆義仲は法住寺を襲撃し、義仲軍の圧勝に終わり後白河法皇を幽閉
☆義仲は敵軍の100人余りの首を五条河原に晒し暴れ回つた

☆義仲征夷大将軍となり、恐怖政治を行った
☆独裁天下は長く続かず、源範頼、義経率いる鎌倉軍に惨敗し討死した


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横暴者・狼藉を行つた者(木曾義仲)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)