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歴代天皇史(承久の乱)

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承久の乱後は、朝廷が六波羅探題に監視される

後鳥羽上皇と鎌倉幕府の関係の蜜月時代
 ☆三代将軍・源実朝との関係は良好であった
 ☆実朝は、正室も京都から迎えることを望み、後鳥羽上皇はこれに応じた
 ☆実朝の暗殺後、京都と鎌倉、公武の蜜月時代は終わりを告げる
朝廷と幕府の対立
 ☆幕府は、実朝の後継に皇族の将軍を迎えることを望んだが後鳥羽上皇は拒絶
 ☆後鳥羽上皇が地頭の罷免を要求したが、幕府は拒絶
朝廷の復権をめざす後鳥羽上皇による「承久の乱」
 ☆二代執権・北条義時追討の宣旨(全国の御家人に反幕府の挙兵を指示)
 ☆全国の御家人は、天皇と上皇の命には従わなかった
 ☆京都は制圧され、戦いは幕府の勝利に終わった
 ☆承久の乱の後、首謀者後鳥羽、土御門、順徳の3上皇は配流となった
鎌倉幕府の権限が強まり、上皇による院政時代は終わった
 ☆新しい天皇は、幕府の意向で後鳥羽上皇の血統を継がない人物であった
承久の乱の後、幕府の出張機関六波羅探題が設置された
 ☆京都(朝廷・公家)は鎌倉幕府の監視下に置かれた
幕府は、北条氏が代々執権を務めた
 ☆三代執権・泰時の時代には、政府機関が整備され、執権の補佐役・連署が置かれた
 ☆評定衆を任命、政務や裁判を合議制で行うことにした
 ☆初めての武家が作った法律「御敗式目」を制定、後世の武士の法律にも影響を与えた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』(綺麗な絵画が記載されています)






承久の乱(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

朝廷の復権をめざした後鳥羽上皇による「承久の乱」
直系将軍が絶えて幕府の力が衰えたと判断した後鳥羽上皇
討幕を計画し、武士や僧兵を集めて京都守護を襲撃
北条氏の外戚で伊賀光季を自害に追いこんだ
二代執権・北条義時追討の宣旨(全国の御家人に反幕府の挙兵を指示)
全国の御家人は天皇と上皇の命には従わなかった
将軍と御家人は、主従の関係を結んで、本領を確保、地頭などの職を与えられていた
幕府が、御家人の権益を守っていたため、武家の結束が崩れることがなかった
北条義時の指揮する東軍は京都を攻め、京都は制圧され、戦いは幕府の勝利に終わった。
承久の乱の後、首謀者である後鳥羽、土御門、順徳の3上皇は配流となる

鎌倉幕府の権限が強まり、上皇による院政時代は終わった
新しい天皇は、幕府の意向で、後鳥羽上皇の血統を継がない人物であった
 ☆仲恭天皇を廃して、後鳥羽の兄の第三皇子である後堀河天皇が即位
上皇方についた公家や武士の西国を中心にした所領が没収された
幕府の支配は機内、西国にまで及び、全国を支配下に置いた
執権・北条時頼は後嵯峨上皇に上奏し、上皇の皇子を第六代将軍に迎えた
四代にわたって親王の将軍が続いた

承久の乱の後、幕府の出張機関六波羅探題が設置された
北条氏一門の有力者が任命された
主な目的は朝廷や公家の動向を監視する役割
京都は鎌倉幕府の監視下に置かれた

幕府は、北条氏が代々執権を務めた
三代執権・泰時の時代には、政府機関が整備された
 ☆執権の補佐役・連署を置いた
 ☆評定衆を任命、政務や裁判を合議制で行うことにした
そのもとになる法律として「御敗式目」を泰時が制定
 ☆武家社会の慣習などを前例として51箇条の法律にまとめた
 ☆初めての武家が作った法律で、後世の武士の法律にも影響を与えた




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