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藤原北家絶頂期

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天皇の外戚となり、摂政・関白として国政を主導した藤原道長・頼通の時代

帝の外祖父・道長の息子は摂政4人の娘は皇后・皇太子妃
 ☆村上天皇が崩御すると藤原氏の策謀で左大臣の源高明が左遷された
 ☆以後、藤原北家が必ず摂政、関白に就き、政治を動かすこととなる。
 ☆道長は娘・彰子を一条天皇の中官、定子は皇后官とされ、史上初の一帝二后となった
 ☆彰子には、敦成親王(後一条天皇)、敦良親王(後朱雀天皇)が生まれた
摂関政治の全盛期は、8代(一条天皇他)約1世紀にわたって続いた
一条天皇の時代
 ☆藤原道長、源俊賢、藤原公任、藤原斉信、藤原行成など有能な臣下が現れる
 ☆清少納言や紫式部ら才女が国文学を開花させるなど人材を輩出した
敦明親王を皇太子の座から追い落としたことが道長に災いする?
 ☆道長は胸痛の発作に苦しめられた
 ☆娘の寛子が若くして衰弱死し、娘の嬉子も麻疹にかかって亡くなった
 ☆息子の顕信が急死し、娘で皇太后の妍子まで世を去ってしまう
 ☆道長も危篤に陥った、道長は法成寺で62年の生涯を終えた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています








藤原北家絶頂期(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

村上天皇は自ら政治を主導した
☆関白・藤原忠平が亡くなる
 ☆左大臣・右大臣として藤原実頼・師輔の兄弟をあてる
 ☆菅原道真の孫、文時を顧問役に登用
国家財政の健全化を目指し天皇親政を行った

藤原北家権力構築
摂関家内の兄弟や叔父・甥の間で氏長者の地位が激しく争われた
道長と伊周の叔父甥争いはし烈だった
伊周の従者が花山法皇に矢を射かけたために伊周は失脚
伊周の妹定子は一条天皇の中宮だったが、この事件で出家する

三条天皇と藤原北家
三条天皇は、重い眼病に悩まされただけでなく、道長との確執が表面化した
 ☆道長は天皇に譲位を促し後一条天皇が即位
譲位に際して三条天皇は息子の敦明親王を皇太子にすることを条件した
三条上皇が病没すると、道長は敦明親王に皇太子の座を降りるよう圧力をかける
 ☆道長は彰子の子・敦良親王を皇太子とする
まるで世の中は、道長の思い通りに動いているかのようだった
道長は自分の代わりに息子の頼通を摂政にして、氏長者としての体制を盤石にする
4人の娘を皇后、皇太子妃にし、後一条天皇の外祖父として大きな権力を握った




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