日本三大悪女(北条政子、日野富子、淀殿)
北条政子(平安時代から鎌倉時代にかけて生きた女性)
☆政子は、嫉妬深く源頼朝が他の女性と接することを好まず後継者不足
☆源氏の嫡流が絶えた後、政子と北条家が政治の実質的な権限を握った
☆朝廷と争い(承久の乱)で上皇などを流罪に追い込んだ
日野富子(室町時代に生きた女性)
☆子を将軍につけたいという思いが、応仁の乱を引き起こした
☆夫の足利義政を疎んじ政治の実権を握った
☆自らの蓄財に熱心で、結果として民衆の困窮を招いた
淀殿(室町時代から江戸時代にかけて生きた女性)
☆残すことができたはずの豊臣家を滅亡に追い込んだ
☆淀殿に不義密通の噂があった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください、気になる話題アラカルト、
出典、番組BS11(尾上松也謎解き歴史ミステリー)
☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)
日本三大悪女(「尾上松也謎解き歴史ミステリー」番組より画像引用)
北条政子の嫉妬深さ
政子の実家である北条氏は、地方の一豪族にすぎない存在
北条家が後世脚光を浴びるのは、源氏の棟梁である源頼朝(流人)のお陰です
☆平治の乱で父である源義朝が平清盛に敗れ、源頼朝も殺されるところ
☆源頼朝は、命だけは助けられて流人生活を送っていた
北条政子は、当時としては珍しいほどの嫉妬深さがあります
☆源頼朝は、妻の北条政子が2人目の子供を身ごもっていた時に浮気する
☆北条政子は激怒、浮気相手のいた屋敷を打ちこわす
当時は一夫多妻が当たり前
☆源氏の公達であった源頼朝にとってはむしろ当たり前
北条政子の政治的な動き
北条政子は源範頼に謀叛の疑いがあると源頼朝に讒言
猜疑心の深い源頼朝は、北条政子の言葉を信じ源範頼を殺害する
源頼朝が亡くなった後、2代将軍になったのが源頼家(北条政子の実子)
源頼家は、将軍就任後は北条家よりも比企家を重視
北条家は北条政子の名で比企家を討伐
源頼家も将軍の座を追われ、最後は暗殺をされます
北条政子は、息子の源頼家を守ることなく死に追いやった
3代将軍源実朝も暗殺された
北条政子が「尼将軍」と言われるようになった
承久の乱で、政子は、敵対した後鳥羽上皇に対して隠岐の島への流罪を命じる
日野富子が「応仁の乱」の源
日野富子は、室町幕府の8代将軍足利義政の正室になる(側室の追放)
☆当初足利義政と日野富子の間には男子誕生しなかった
足利義政は、実弟に将軍職を譲ると決めた
日野富子は後の足利義尚となる男子を出産
☆実の子を将軍職にしたい日野富子
この将軍職の争いなどにより起こったのが応仁の乱
日野富子の蓄財
日野富子は、応仁の乱で、双方に戦費の貸し付けをして、莫大な利子収入を得ていた
足利義政は隠居をして9代将軍に足利義尚が就く
足利義尚の後見は、実母である日野富子が取り仕切り絶大な権力を握る
日野富子は、応仁の乱を終わらせることではなく蓄財
応仁の乱が終息後も、京都の各地に関所を作り、得た収入を自分のものとした
淀殿(豊臣家を滅亡に追い込んだ)
淀殿の父は戦国大名の浅井長政、母は織田信長の妹であるお市の方
浅井長政は織田信長と敵対するようになり敗北し自害する
豊臣秀吉は、淀殿との間には子を授かることができた
☆2度目の男児は成長して豊臣秀頼となる
豊臣秀吉が亡くなると、淀殿は次第に権力を握るようになる
徳川家康自身は、豊臣秀頼が臣従するのであれば無理に豊臣家をつぶす気はなかった
全てを拒否し続ける淀殿と豊臣秀頼に業を煮やし大坂の陣
淀殿と豊臣秀頼は大坂城で自害をしたと伝えられていま
淀殿に不義密通の噂があった
正室にも側室にも子ができることはありませんでした
豊臣秀吉は、淀殿との間には子を授かることができた
☆2度目の男児は成長して豊臣秀頼となる
北条政子(平安時代から鎌倉時代にかけて生きた女性)
☆政子は、嫉妬深く源頼朝が他の女性と接することを好まず後継者不足
☆源氏の嫡流が絶えた後、政子と北条家が政治の実質的な権限を握った
☆朝廷と争い(承久の乱)で上皇などを流罪に追い込んだ
日野富子(室町時代に生きた女性)
☆子を将軍につけたいという思いが、応仁の乱を引き起こした
☆夫の足利義政を疎んじ政治の実権を握った
☆自らの蓄財に熱心で、結果として民衆の困窮を招いた
淀殿(室町時代から江戸時代にかけて生きた女性)
☆残すことができたはずの豊臣家を滅亡に追い込んだ
☆淀殿に不義密通の噂があった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください、気になる話題アラカルト、
出典、番組BS11(尾上松也謎解き歴史ミステリー)
☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます)
日本三大悪女(「尾上松也謎解き歴史ミステリー」番組より画像引用)
北条政子の嫉妬深さ
政子の実家である北条氏は、地方の一豪族にすぎない存在
北条家が後世脚光を浴びるのは、源氏の棟梁である源頼朝(流人)のお陰です
☆平治の乱で父である源義朝が平清盛に敗れ、源頼朝も殺されるところ
☆源頼朝は、命だけは助けられて流人生活を送っていた
北条政子は、当時としては珍しいほどの嫉妬深さがあります
☆源頼朝は、妻の北条政子が2人目の子供を身ごもっていた時に浮気する
☆北条政子は激怒、浮気相手のいた屋敷を打ちこわす
当時は一夫多妻が当たり前
☆源氏の公達であった源頼朝にとってはむしろ当たり前
北条政子の政治的な動き
北条政子は源範頼に謀叛の疑いがあると源頼朝に讒言
猜疑心の深い源頼朝は、北条政子の言葉を信じ源範頼を殺害する
源頼朝が亡くなった後、2代将軍になったのが源頼家(北条政子の実子)
源頼家は、将軍就任後は北条家よりも比企家を重視
北条家は北条政子の名で比企家を討伐
源頼家も将軍の座を追われ、最後は暗殺をされます
北条政子は、息子の源頼家を守ることなく死に追いやった
3代将軍源実朝も暗殺された
北条政子が「尼将軍」と言われるようになった
承久の乱で、政子は、敵対した後鳥羽上皇に対して隠岐の島への流罪を命じる
日野富子が「応仁の乱」の源
日野富子は、室町幕府の8代将軍足利義政の正室になる(側室の追放)
☆当初足利義政と日野富子の間には男子誕生しなかった
足利義政は、実弟に将軍職を譲ると決めた
日野富子は後の足利義尚となる男子を出産
☆実の子を将軍職にしたい日野富子
この将軍職の争いなどにより起こったのが応仁の乱
日野富子の蓄財
日野富子は、応仁の乱で、双方に戦費の貸し付けをして、莫大な利子収入を得ていた
足利義政は隠居をして9代将軍に足利義尚が就く
足利義尚の後見は、実母である日野富子が取り仕切り絶大な権力を握る
日野富子は、応仁の乱を終わらせることではなく蓄財
応仁の乱が終息後も、京都の各地に関所を作り、得た収入を自分のものとした
淀殿(豊臣家を滅亡に追い込んだ)
淀殿の父は戦国大名の浅井長政、母は織田信長の妹であるお市の方
浅井長政は織田信長と敵対するようになり敗北し自害する
豊臣秀吉は、淀殿との間には子を授かることができた
☆2度目の男児は成長して豊臣秀頼となる
豊臣秀吉が亡くなると、淀殿は次第に権力を握るようになる
徳川家康自身は、豊臣秀頼が臣従するのであれば無理に豊臣家をつぶす気はなかった
全てを拒否し続ける淀殿と豊臣秀頼に業を煮やし大坂の陣
淀殿と豊臣秀頼は大坂城で自害をしたと伝えられていま
淀殿に不義密通の噂があった
正室にも側室にも子ができることはありませんでした
豊臣秀吉は、淀殿との間には子を授かることができた
☆2度目の男児は成長して豊臣秀頼となる