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キリスト教での聖像

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東西のキリスト教教会での聖像の可否をめぐる論争

東方教会(ギリシア正教)の聖職者の中で始まった神学論争
キリスト教の母体となったユダヤ教では
 ☆十戒の第2項「汝は自分のために刻んだ像を造ってはならない」記載されている
ユダヤ教では、偶像崇拝は禁止されていた
キリスト教がローマ帝国に公認され、布教されていく伝道の方便として
 ☆イエスやマリアの像が使われるようになった
7世紀にイスラーム教が起こると、イスラーム教では偶像崇拝の否定
 ☆イスラーム教徒は、キリスト教での偶像崇拝を厳しく批判した
ビザンツ帝国ビザンツ皇帝レオン3世は、聖像禁止令を出し聖像の製造禁止と破壊を命じた
出典、世界史の窓




聖像(ネットより画像引用)

三位一体説との関係
聖書の十戒からすれば、聖像は当然否定されるものである
聖像禁止派と崇拝派の論理は、三位一体説に立っている
 ☆キリストの本質を「神性」とするか、「人性」とするか?
三位一体説で「父と子と聖霊」は一体であると規定している
 ☆「キリストは神でもあり人でもある」とされた
聖像禁止派は、キリスト像を描くことは三位一体説に反すると主張する
聖像崇拝派は、キリストは受肉し、人間の姿をとっているのであり、聖像は許される
 ☆聖像そのものは神でなく聖像を通じて神を崇拝するのである(偶像崇拝ではない)

東西教会の論争に発展
聖像崇拝論争は、東方教会と西方教会の対立に発展した
西方教会(ローマ=カトリック教会)の教皇は、ゲルマン民族への布教を積極的に進めていた
 ☆その際聖像の使用は不可欠で、聖像禁止令に反撥した
 ☆ローマ教会は、ビザンツ帝国と対立することになった
両教会は1054年に互いに破門し合って東西に分離する
東方教会での聖像破壊の激化とその反動
 ☆聖像崇拝派に対する弾圧、聖像破壊も実行され禁止令が出されている
 ☆聖像破壊の反動や教会の抵抗もあり「イコン」の使用が認められた
 ☆平面像のみで、彫刻や立像は認められなかった

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