先の大戦の激戦地へ慰霊の旅を続けた真意
今上天皇は、昭和天皇の詔勅を疎開先の日光で聞いて大粒の涙を流したという
☆帰京する汽車の車窓から、空襲で壊滅した街を凝視していたという
☆このとき戦争は絶対にしてはならないという強い思いを抱かれたのではないだろうか
学習院の中等部、高等部で、皇太子は「お前の親父には戦争責任があるぞ」などといわれた
☆深い意味もない子供の発言ではあったが、皇太子のその後に影響を与えたとも考えられる
退位の意向を表明された今上天皇の激戦地への訪問や満州からの帰国者との会見
☆深い思いが込められていると思う
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『THEMIS』4月号
天皇陛下外国訪問(ネットより画像引用)
天皇、皇后両陛下(一昨年パラオ、昨年フィリピン、今年ベトナムとタイ訪問)
天皇の強い意志と願いが感じ取れる
今上天皇は、先の大戦が昭和天皇の下で行われ、国内と戦地で300万人を超える犠牲者を出した
☆このことに心を痛めてきたと思われる
そのお気持ちが、国内外での戦死者の慰霊や遺族との面会に駆り立てているに違いない
今年ベトナムとタイを訪問
戦死した兵士の慰霊と現地に残って結婚したその妻や子どもたちと面会された
タイは、プミポン前国王の墓前に詣でることと、新国王と親善関係を深めることも目的でした
ベトナムの日本兵は、戦後、約8万人のほぼ全員が帰国し、約600人が残った
残った日本兵の多くは、再植民地化を狙ったフランスに対抗した「ベトナム独立同盟」に参加
☆ベトナム独立のために戦い、戦死した元日本兵もいた
現地の女性と結婚し、子どもをもうけた元兵士もいた
天皇、皇后両陛下は、ベトナムに残っていた元兵士の家族と感激の対面を果たした
今上天皇にとって今回の外国訪間は、退位の意向を表明して以来初めてです
両陛下は、終戦後、満州から帰国した人々に会わた
満州在住の国民が帰国の途中になめた辛酸は筆舌に尽くしがたいものがある
帰還船を待っているところへ、ソ連兵が「女を出せ」と押しかける
若い女性を犠牲にするわけにはいかない
☆40~50代の未亡人などが「私が代わりに」と名乗り出たことも多かった
妊娠してしまった女性に堕胎させるため、舞鶴や佐世保には産婦人科医が待機していた
密かに病院で処置したのち、健康の回復を待って郷里へ帰していた
今上天皇は、昭和天皇の詔勅を疎開先の日光で聞いて大粒の涙を流したという
☆帰京する汽車の車窓から、空襲で壊滅した街を凝視していたという
☆このとき戦争は絶対にしてはならないという強い思いを抱かれたのではないだろうか
学習院の中等部、高等部で、皇太子は「お前の親父には戦争責任があるぞ」などといわれた
☆深い意味もない子供の発言ではあったが、皇太子のその後に影響を与えたとも考えられる
退位の意向を表明された今上天皇の激戦地への訪問や満州からの帰国者との会見
☆深い思いが込められていると思う
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『THEMIS』4月号
天皇陛下外国訪問(ネットより画像引用)
天皇、皇后両陛下(一昨年パラオ、昨年フィリピン、今年ベトナムとタイ訪問)
天皇の強い意志と願いが感じ取れる
今上天皇は、先の大戦が昭和天皇の下で行われ、国内と戦地で300万人を超える犠牲者を出した
☆このことに心を痛めてきたと思われる
そのお気持ちが、国内外での戦死者の慰霊や遺族との面会に駆り立てているに違いない
今年ベトナムとタイを訪問
戦死した兵士の慰霊と現地に残って結婚したその妻や子どもたちと面会された
タイは、プミポン前国王の墓前に詣でることと、新国王と親善関係を深めることも目的でした
ベトナムの日本兵は、戦後、約8万人のほぼ全員が帰国し、約600人が残った
残った日本兵の多くは、再植民地化を狙ったフランスに対抗した「ベトナム独立同盟」に参加
☆ベトナム独立のために戦い、戦死した元日本兵もいた
現地の女性と結婚し、子どもをもうけた元兵士もいた
天皇、皇后両陛下は、ベトナムに残っていた元兵士の家族と感激の対面を果たした
今上天皇にとって今回の外国訪間は、退位の意向を表明して以来初めてです
両陛下は、終戦後、満州から帰国した人々に会わた
満州在住の国民が帰国の途中になめた辛酸は筆舌に尽くしがたいものがある
帰還船を待っているところへ、ソ連兵が「女を出せ」と押しかける
若い女性を犠牲にするわけにはいかない
☆40~50代の未亡人などが「私が代わりに」と名乗り出たことも多かった
妊娠してしまった女性に堕胎させるため、舞鶴や佐世保には産婦人科医が待機していた
密かに病院で処置したのち、健康の回復を待って郷里へ帰していた