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乃木希典氏の「名将論」台頭

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司馬遼太郎氏の乃木希典氏「愚将論」に対し

司馬遼太郎氏、自身の戦争体験の憎しが、間違った司馬史観を流布させた
原因は、問題だらけの『谷戦史』を日露戦争のタネ本としたからです
「司馬史観」とは単なる「司馬私観」でした
乃木希典氏は、やはり軍神でした
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、「THEMIS」11月号記事(毎月1日発売)詳細確認ください












乃木希典氏(ネットより画像引用)

私が以前『坂の上の雲』読んだ時の事思いだしました
乃木希典氏の様な「愚将」を、陸軍の重要な役に何故就けたのか?
それ程、無能何らヤメさせたらよいのになー、帝国陸軍には人材がいなかったのか?
乃木希典氏の行う行為は、全て愚策と小説に書かれていましたが?
疑問を持ち矛盾を感じて読んでいました

司馬氏は史実とほど遠いような小説を書いたのか?
第2次大戦末期に戦車第連隊の見習い士官だった司馬氏は
「鉄と肉の戦い」とされたノモンハン事件に終生関心がありました
自分のいた戦車隊が、情報無視の精神主義の果て、ソ連の最新式戦車に惨敗したからです
昭和陸軍の破滅を乃木希典氏と結ぶ

司馬氏は日本を愛するが故に
栄光の明治陸軍を、減びの昭和陸軍に劣化させたのです
もしも乃木希典氏「愚将論」に史実の裏付けがあれば、司馬氏の試みは傾聴に値したかもしれない
これまで散見した文献を視ると、間違いだらけでした
原因は、資料として谷寿夫氏『機密旦露戦史』に頼り過ぎたせいでした
乃木氏を「武士道の最後の信奉者」で軍事知識や国際的情報感覚に乏しいと見ていた司馬氏
『谷戦史』にある乃木に対する低い評価に「これだ」と思ったのでしょう

司馬氏の独断偏見への義憤で
日露戦争は、満州・朝鮮の支配を巡って日本と帝政ロシアとの間で行われた戦争です
遼東半島南端の港湾地区・旅順における激烈な要塞攻略戦でした
旅順の総攻撃を指揮したのは、第3軍司令官の乃木希典中将でした
悪戦苦闘で、約6万人の膨大な死傷者を出した末に旅順要塞は陥落しました
乃木中将は、旅順攻略戦や続く奉天会戦において、日本軍を勝利に導いた「名将」です
国民的英雄と見倣され、戦前は、国威発揚・皇民教育の格好のモデルでした

戦後、乃木希典氏に対する評価が一変
司馬遼太郎氏が、作品『殉死』や『坂の上の雲」の中で乃木氏を無能な「愚将」とこき下ろす
司馬遼太郎氏の乃木観が広く流布してからです
司馬氏の乃木像は、意図的に作られました
司馬氏は『坂の上の雲』のあとがきで、作品内容が「事実に、ほぼ百%近い」と記しています
最近、乃木再評価の本の出版が相次ぐのも、司馬氏の事実誤認、独断偏見に対する義憤ゆえといえます

乃木は「柔軟な発想」も出来た
乃木氏は本来、司馬氏が捏造しようとする精神主義に凝り固まった頑迷固陣な人物ではなかった
柔軟な発想をする合理主義者だった(さもないと22歳で陸軍少佐にはなれない)
乃木氏の指揮では、ラチが明かないと小説では記されています
 ☆満州軍総参謀長・児玉氏が旅順に乗り込み、203高地戦を指揮し勝利させたとなっています
無能な乃木、天才児玉……、本当は、児玉の存在と勝利は、無関係でした

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