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蓮如上人(室町時代の浄土真宗の僧)
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蓮如が生まれた頃の本願寺は、青蓮院の末寺でした
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蓮如の時代は、応仁の乱、寛正の大飢饉等で世の中も乱れていました
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本願寺は、佛光寺教団(浄土真宗)の興隆等で、衰退の極みでした
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蓮如は、本願寺を再興し、本願寺教団(本願寺派・大谷派)の礎を築きました
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『なんでも鑑定団』番組他参考&引用
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蓮如(なんでも鑑定団、ネットより引用)
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蓮如の布教
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教義は、分かりやすく説いた『御文』(『御文章』)を中心に行いました
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蓮如の孫、円如がこれを収集して五帖80通(『五帖御文』)にまとめました
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門徒個人が所有する「道場」の本尊に「十字名号」「九字名号」を与えました
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十字名号、九字名号とは?
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「阿弥陀如来に深く帰依いたします」という信仰告白の言葉です
☆十字名号「帰命尽十方無碍光如来」九字名号「南無不可思議光如来」
☆十字名号、天親菩薩の『浄土論』、九字名号は、曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』のことばです
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、お内仏(仏壇)に、本尊の「脇掛」として掛ける
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親鸞は、天親菩薩・曇鸞大師から一文字づつもらって自らの名告りました
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親鸞聖人に本願念仏の教えの核心を、天親菩薩・曇鸞大師は。伝えて下さった方々です
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親鸞聖人が明らかにして下さったお念仏の教えを、聖人と同じようにいただく意味があります
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蓮如の生誕と幼少期
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京都東山本願寺にて、本願寺第7世存如の長子として生まれる
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蓮如6歳時、存如が本妻を迎えたので、生母は本願寺を退出した
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蓮如幼年期の本願寺は、佛光寺の隆盛に比し衰退の極でした
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蓮如(京都)での活動
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父を補佐し、多くの聖教を書写しました
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本願寺は、宗派の中心寺院としての格を失い青蓮院の末寺でした
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本願寺は、比叡山延暦寺から、宗旨についても弾圧されました
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蓮如は、延暦寺への上納金支払いを拒絶し、延暦寺は本願寺と蓮如を「仏敵」と認定
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延暦寺西塔の衆徒は、大谷本願寺を破却しました
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蓮如は、近江の金森、堅田、大津を転々とする
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蓮如(越前吉崎)での活動
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蓮如、吉崎御坊を建立し、吉崎は急速に発展した
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加賀の民衆が、蓮如の下に多く集まったので、時の統治者は、その勢力を危惧しました
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蓮如の配下の下間蓮崇が、蓮如の命令と偽って一揆の扇動を行った(?)
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一揆は、沈静化され、蓮如吉崎を退去しました
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蓮如(京都山科)での活動
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山科に坊舎の造営(真宗佛光寺派を継ぐ筈の経豪も蓮如に帰順)
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山科の坊舎敷地は広大で、山科本願寺の構造は近代城郭でした(城)
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生涯に5度の婚姻をした(子は男子13人・女子14人)
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蓮如、山科本願寺にて85歳で示寂