四国遍路11番~20番の札所
巡るめく四国のサイトより引用しました
11番~20番の札所は、四国徳島県エリアです
巡る四国サイト(ネットより引用)
11番札所 金剛山 藤井寺
弘法大師が、刻んだ薬師如来を本尊としたのが寺の起こりです
五色の藤を植えたことが寺の名の由来です
12番札所 摩廬山 焼山寺
焼山寺山の山腹にあり、八十八カ所の中で難所のひとです
歩き遍路の場合は、山道を約13㎞歩きます(男性で6時間)
13番札所 大栗山 大日寺
大日寺は、一宮神社の別当寺(神社に付属して建てられた寺)でした
明治の神仏分離令で、一宮神社に祀られていた十一面が寺に移され本尊となりました
14番札所 盛寿山 常楽寺
開基は弘法大師
大師は、修行中多くの菩薩、弥勒菩薩と出会い、その姿を刻み、本尊とした
15番札所 薬王山 國分寺
聖武天皇の命により、全国に国分寺、国分尼寺が建立された
ここが阿波の國分寺で、創建当時は広大な規模を誇っていました
16番札所 光耀山 観音寺
二層の鐘楼門の左右には、寄進者の名を刻んだ石柱が並んでいます
本堂に、炎に包まれた女性の絵がある(姑を苛めたたので、火傷を覆い、その事を反省し女性が奉納)
17番札所 瑠璃山 井戸寺
弘法大師が水不足に苦しむ村人を哀れみ、井戸を掘ったことにちなんで「井戸寺」と名称変更
18番札所 母養山 恩山寺
弘法大師の母が、この寺に息子を訪ねてきたが、女人禁制だったために会えませんでした
大師は、女人禁制を解く修行をし、母と対面しました
19番札所 橋池山 立江寺
本尊は、光明皇后の安産を祈願して行基が彫った延命地蔵菩薩像
のちに弘法大師が、6尺の地蔵菩薩を刻んで、その胎内に収めました
20番札所 霊鷲山 鶴林寺
黄金の地蔵菩薩の小さな像が、2羽の鶴が守っていました
大師は地蔵菩薩を刻み、そのなかに黄金の地蔵を納め、本尊としました
巡るめく四国のサイトより引用しました
11番~20番の札所は、四国徳島県エリアです
巡る四国サイト(ネットより引用)
11番札所 金剛山 藤井寺
弘法大師が、刻んだ薬師如来を本尊としたのが寺の起こりです
五色の藤を植えたことが寺の名の由来です
12番札所 摩廬山 焼山寺
焼山寺山の山腹にあり、八十八カ所の中で難所のひとです
歩き遍路の場合は、山道を約13㎞歩きます(男性で6時間)
13番札所 大栗山 大日寺
大日寺は、一宮神社の別当寺(神社に付属して建てられた寺)でした
明治の神仏分離令で、一宮神社に祀られていた十一面が寺に移され本尊となりました
14番札所 盛寿山 常楽寺
開基は弘法大師
大師は、修行中多くの菩薩、弥勒菩薩と出会い、その姿を刻み、本尊とした
15番札所 薬王山 國分寺
聖武天皇の命により、全国に国分寺、国分尼寺が建立された
ここが阿波の國分寺で、創建当時は広大な規模を誇っていました
16番札所 光耀山 観音寺
二層の鐘楼門の左右には、寄進者の名を刻んだ石柱が並んでいます
本堂に、炎に包まれた女性の絵がある(姑を苛めたたので、火傷を覆い、その事を反省し女性が奉納)
17番札所 瑠璃山 井戸寺
弘法大師が水不足に苦しむ村人を哀れみ、井戸を掘ったことにちなんで「井戸寺」と名称変更
18番札所 母養山 恩山寺
弘法大師の母が、この寺に息子を訪ねてきたが、女人禁制だったために会えませんでした
大師は、女人禁制を解く修行をし、母と対面しました
19番札所 橋池山 立江寺
本尊は、光明皇后の安産を祈願して行基が彫った延命地蔵菩薩像
のちに弘法大師が、6尺の地蔵菩薩を刻んで、その胎内に収めました
20番札所 霊鷲山 鶴林寺
黄金の地蔵菩薩の小さな像が、2羽の鶴が守っていました
大師は地蔵菩薩を刻み、そのなかに黄金の地蔵を納め、本尊としました