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東征(2)経路は地名が語り継ぐ

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地名が語り継ぐ「皇居」の存在

イハレビコの皇居跡とされる皇宮神社
イハレビコは15歳皇太子~45歳で東征迄「皇居」で過ごしました
産経新聞記事より








東征(ネットより引用)

皇居跡に相応しい聖地
稲作に適した土地で、大農園をつくれたことが、皇居を構えられた理由です
皇宮屋で、イハレビコ(神武天皇)は30年間、政を行いました
皇居があったことを端的に示すのは「宮崎」という地名です

宮崎(宮殿の前を示す名前)
古代、重要拠点としての認識があった土地でした
地名起源から、イハレビコの存在感の大きさを示しています

日本には、神様や古人を地名起源にする場所が多いです
「神様の(産湯・井戸を開く・お座りになった)」等、故事に由来した地名
九州では、神武天皇と景行天皇にまつわる地名が多いです
景行天皇は、九州平定のために西下しました
朝廷が全国に風土記の編纂を命じた奈良時代が起源です

「何れの地に坐さば、天の下の政を平らけく聞こし看さむなほ東に行かむと思ふ」
古事記中巻は、イハレビコが高千穂宮で兄に相談する場面から始まります
天下の政治を、もっと東に行き、実施する決意を打ち明けるました
「かくして日向をたった」神武東征の始まりです

米は多くの人口を支える食物
稲作を耕作するには、人々の協力なくしては行えない
稲作を普及させてムラ社会を完成させたイハレビコ(神武天皇)
その過程で、政治や軍事の知識も重ねました






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