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アフガニスタン紛争 (1978年から10年間)
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ソ連の侵攻に対する抵抗運動の中心となったのはムジャーヒディーンです
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戦力&損害
*ソ連軍 ⇒軍隊115,000人、戦死他14.000人
*アフガニスタン軍⇒軍隊 55,000人、戦死他18,000人
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アフガニスタンとウクライナ結局全く同様の、米ソの代理戦争になりますね
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人口3千万人(首都カブール)
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アフガニスタン(ネットより引用)
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アフガニスタン紛争
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アフガニスタンの人民民主党政権に対するムジャーヒディーンの蜂起
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全土が抵抗運動の支配下に落ちたため、人民民主党政権はソビエト連邦に軍事介入を要請
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要請に応じて、ソ連軍軍事介入し、撤退するまでの10年間です
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アフガニスタンの反政府組織とソ連軍の間で発生した戦闘です
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アフガニスタン人民民主党政権への反発
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アフガニスタンは王国で国王として統治していました
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ダーウードは、革命を起こし、アフガニスタン共和国を成立させました
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ダーウードはアブドゥル・カディル大佐に暗殺されました
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ソ連軍に対して、ムジャーヒディーン中心の抵抗運動
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米国中央情報局は、極秘の武器供給等、ムジャーヒディーンの支援に数十億ドル提供
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ムジャーヒディーンの抵抗運動には、イスラム諸国からの義勇兵も含まれていました
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アメリカ同時多発テロ実施の、ウサーマ・ビン=ラーディンも加わった一人です
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この戦争により、イスラム原理主義テロリストの活動が活発になりました
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ソ連撤退後も、ムジャーヒディーン派の内部抗争、タリバンの台頭&タリバンと米国との戦い
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アフガニスタンでは、現在でも、米国・イスラム共和国政府との戦闘など戦火は続いています
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人民民主党に対する反乱勃発と拡大
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人民民主党は、革命政府樹立後も政権幹部の左遷・解任・逮捕が相次ぎました
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反乱は全国に拡大し、ソ連の援助がなければ政権が崩壊する状況でした
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アメリカの外交政策も転換し、ミサイルの生産とヨーロッパ配備の決定されました
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アフガニスタンはソ連にとって要衝であり、アフガンの喪失は安全保障に多大な影響があります
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ソビエト連邦軍の人民軍支援の戦略
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ソ連軍は、総勢でおよそ18万人になりました(師団のほぼ20%)
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前線では、化学兵器・対人地雷(人形爆弾)が使われました
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戦闘ヘリコプターを多数投入し、航空戦力を持たないムジャーヒディーンにとって大きな脅威になりました
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アメリカがムジャーヒディーンにスティンガーミサイルを供与したため脅威は限定的となりました
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中東におけるソ連の影響力を怖れたアメリカは、ムジャーヒディーンの支援に乗り出しました