春日局(斎藤福)
春日局⇒3代将軍徳川家光の乳母、「春日局」とは朝廷から賜った称号
江戸城大奥の礎を築いた人物で、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人
朝廷との交渉の前面に立ち、女性政治家として徳川政権の安定化に寄与した
春日局(ネットより引用)
春日局の生誕と江戸城迄
春日局は、丹波(明智光秀の所領)の黒井城下館で、城主の姫として生まれる
父は、本能寺の変で、光秀に加担し、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ処刑される
春日局は、母方の親戚三条西公に送られ、公家の素養である書道・歌道・香道等の教養を身につけた
稲葉重通の養女となり、稲葉氏の縁者で小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となる
春日局江戸城時代
2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(家光)の乳母に任命される
家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切る
家光の側室探しに尽力し、『万、楽、夏』等の女性たちを次々と奥入りさせた
将軍の権威を背景に、老中をも上回る実質的な権力を握る
家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、上洛して御所への昇殿し従二位に昇叙
息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、老中に就任、相模国小田原藩主となる
享年64歳、辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」
春日局家光を将軍に
徳川秀忠・江夫妻が竹千代の実弟・国松を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌める
駿府にいた大御所・家康に竹千代の世継を確定させるように直訴
江に対抗意識を燃やして、家康に訴える為、度々駿府へ訪問
春日局⇒3代将軍徳川家光の乳母、「春日局」とは朝廷から賜った称号
江戸城大奥の礎を築いた人物で、松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人
朝廷との交渉の前面に立ち、女性政治家として徳川政権の安定化に寄与した
春日局(ネットより引用)
春日局の生誕と江戸城迄
春日局は、丹波(明智光秀の所領)の黒井城下館で、城主の姫として生まれる
父は、本能寺の変で、光秀に加担し、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ処刑される
春日局は、母方の親戚三条西公に送られ、公家の素養である書道・歌道・香道等の教養を身につけた
稲葉重通の養女となり、稲葉氏の縁者で小早川秀秋の家臣である稲葉正成の後妻となる
春日局江戸城時代
2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(家光)の乳母に任命される
家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切る
家光の側室探しに尽力し、『万、楽、夏』等の女性たちを次々と奥入りさせた
将軍の権威を背景に、老中をも上回る実質的な権力を握る
家光の疱瘡治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、上洛して御所への昇殿し従二位に昇叙
息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、老中に就任、相模国小田原藩主となる
享年64歳、辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」
春日局家光を将軍に
徳川秀忠・江夫妻が竹千代の実弟・国松を溺愛している様子を憂慮し、自害しようとした家光を諌める
駿府にいた大御所・家康に竹千代の世継を確定させるように直訴
江に対抗意識を燃やして、家康に訴える為、度々駿府へ訪問