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平清盛⇒平安時代末期の武将・公卿、伊勢平氏の棟梁
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保元の乱で、後白河天皇の信頼を得て、平治の乱を経て、武士としては初めて太政大臣になる
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娘の徳子を高倉天皇に入内させ「平氏にあらずんば人にあらず」と言われる時代を築いた
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平氏の権勢に反発した、後白河法皇を幽閉して、徳子の産んだ安徳天皇を擁し政治の実権を握る
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平氏の独裁は貴族・寺社・武士などから反発を受け、源氏による平氏打倒の兵が挙がる中熱病で没した
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平清盛(ネットより引用)
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平清盛棟梁になるまで
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弟家盛は急死したため、清盛の嫡流としての地位は磐石となる
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安芸守に任じられて、瀬戸内海の制海権を手にすることで莫大な利益をあげた
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宮島の厳島神社を信仰し、忠盛の死後平氏一門の棟梁となる
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保元の乱、平治の乱
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保元の乱で、平一門は、後白河天皇側について勝利をもたらし播磨守、大宰大弐となりました
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平治の乱で勝利し、急速にその政治的地位を高めました
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源義朝・源重成等有力武士が滅亡し、清盛は武士の第一人者として、武家政権樹立の礎を築きました
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平清盛全盛期
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天皇・上皇の双方に仕えることで磐石の体制を築きました
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清盛は、春宮大夫から内大臣、太政大臣と出世しました
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清盛は福原に別荘を造営し、厳島神社の整備・日宋貿易の拡大に没頭しました
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平氏一門は隆盛を極め、全国に500余りの荘園を保有し、日宋貿易によって莫大な財貨を手にしました
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平清盛に対する不満
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後白河法皇中心に、院政勢力は清盛へ不快感を持つようになり、対立を深めました
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清盛が、法皇を幽閉して政治の実権を握ったことは多くの、反平氏勢力を生み出しました
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平氏の独裁に対して反抗の第一波となったのは、後白河法皇の第3皇子以仁王の挙兵です
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以仁王には、源頼政他多くの武将と、興福寺・園城寺も同調しました
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計画は未然に発覚、清盛の手早い対策により以仁王と源頼政らを討ち取られました
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寺社勢力が反平氏勢力に
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寺社勢力は、園城寺・興福寺が不穏な動きを見せ始めました
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清盛は、京都は、反対勢力の寺社に囲まれているので、遷都を目指しました
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清盛は、軍勢を差し向けて、園城寺を焼き払い、近江の平定に成功しました
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南都焼討は清盛が恐れていた「仏敵」の汚名を着せるにいたってしまった
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以仁王の令旨が全国各地に飛び、源頼朝、武田信義を棟梁とする甲斐源氏、信濃国で木曾義仲が挙兵
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平清盛の最期
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伊予国等で反乱の動き、東国でも平氏方で佐竹秀義などが頼朝によって討伐されました
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清盛は熱病に倒れた、死期を悟った清盛は、「天下の事は宗盛に任せ、異論あるべからず」と言い残し死亡した
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平清盛の死後
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平氏の棟梁の座は三男の宗盛が継いだが、全国各地で相次ぐ反乱に対処できませんでした
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倶利伽羅峠の戦いで平氏軍が壊滅した後、義仲軍の攻勢の前に成す術無く都落ちしました
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壇ノ浦の戦いに敗れて平氏は滅亡しました