$ 0 0 西行法師 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人 出家して西行と命名しました 勅撰集では『詞花集』『千載集』『新古今集』へ265首が入撰しています 家集に『山家集』『山家心中集』『聞書集』、説話集に『撰集抄』『西行物語』があります 西行(ネットより引用) 西方浄土とは(西行) 浄土とは、仏の住む国土と言う意味です 阿弥陀如来「西方極楽浄土」、薬師如来「東方浄瑠璃浄土」、阿閦の仏「東方妙喜世界」、釈迦仏「西方無勝世界」です 諸仏の浄土が、娑婆世界(現実世界)から見てあらゆる方向にあるので「十方浄土」です 各経に説く十方の如来・仏を信じていればその浄土に行くという考えです 高杉晋作は、西行に影響を受け東行と名乗りました 西行の業績 鳥羽院の北面武士としても奉仕していました 出家後は、心のおもむくまま諸所に草庵をいとなみ、漂泊の旅に出て多くの和歌を残しました 出家の動機は、失恋説(高貴な上臈女房)です 後鳥羽院が西行を好んだのは「平俗にして気品高」彼自身の作風と共通するからです 西行は、出家の際に衣の裾に取りついて泣く子を縁から蹴落として家を捨てたという逸話が残っています *「惜しむとて 惜しまれぬべき此の世かな 身を捨ててこそ 身をも助けめ」