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江戸の天皇(明正天皇、後光明天皇)

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江戸時代の天皇

明正天皇  ⇒後水尾天皇の第二皇女(母は徳川秀忠の娘)
後光明天皇 ⇒明正天皇の異母弟














江戸の天皇(ネットより引用)

明正天皇
江戸幕府への憤りを覚えた父後水尾天皇より、内親王宣下と譲位を受け7歳の女性天皇誕生
治世中は後水尾上皇による院政が敷かれ、明正天皇が朝廷で実権を持つことは有りませんでした
21歳で、異母弟紹仁親王(後光明天皇)に譲位し、出家して、太上法皇となりました
「天皇となった女性は即位後、終生独身を通さなければならない」という不文律が有りました
勧修寺寝殿(明正殿)と書院(重要文化財)は、明正天皇が生活した御殿を彼女の死後に移築したものです
江戸幕府や、後水尾上皇らの許可なしでは。外出や他人との面会もままならない一生を過ごしました

後光明天皇
将軍徳川家光から家綱の時代の天皇です
天皇は武芸を学び、激烈で直情径行的な性格の持ち主で、反幕府的な態度をとっていたと言われています
反面で幼少から学問を好み、特に儒学や漢学を尊重していました
漢詩文の詩作を好み、御集に『鳳啼集』があります

後光明天皇逸話
京都所司代が、武術に関して「関東へ聞こえます、もしお止めなさらぬ時は、所司代が切腹せねばなりませぬ」と諌めた
「未だ武士の切腹を見たことがない、壇を築いて切腹せよ」と
「朝廷が衰微したのは、和歌と源氏物語が原因」と論じて、源氏物語を淫乱の書と決め付け一切読みませんでした
仏教を「無用の学」と言うほどの仏教嫌いでした

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