$ 0 0 江戸時代の文化人 住友政友 ⇒商人で住友家の初代 中江藤樹 ⇒朱子学 平田篤胤 ⇒国学者・神道家・思想家・医者 江戸の文化人(ネットより引用) 住友政友 住友家初代の当主です 京都に移住し、涅槃宗の開祖、上人空源に弟子入りして僧となる 後陽成天皇が崩御すると、他の宗派より京都所司代に邪教と訴えられ、佐倉藩へ配流されました 天台宗の天海により、涅槃宗を天台法華宗三明院門流として存続、涅槃宗の法味を護持されました 仏光寺で、出版業・薬種業の富士屋を始めました 薬種業では「まつら流本方」として反魂丹を販売し、出版業では『御成敗式目』や『往生要集』などを刊行した 中江 藤樹 滋賀県高島市で私塾『藤樹書院』を開きました 朱子学に傾倒しましたが、陽明学の影響を受け、格物致知論を究明するようになりました 『身分の上下をこえた平等思想』に特徴があり、多くの階級の人に広く浸透し「近江聖人」と称えられました 門人として熊沢蕃山、淵岡山、中川謙叔などがいます 平田 篤胤 儒教・仏教と習合した神道を批判したが、その思想は宣長学派の実証主義から逸脱した神秘学的なものに変貌 学説は、水戸学同様幕末の尊皇攘夷の支柱となりました 国学に新たな流れをもたらし、死後の魂の行方と救済をその学説の中心に据えました 篤胤の復古神道は平田神道と呼称され、後の神道系新宗教の勃興につながりました 明治維初期には、平田派の神道家は大きな影響力を持ちました 江戸幕府の暦制を批判した『天朝無窮暦』を出版したことにより、以後の著述を禁止されました