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江戸の文化人(茶屋四郎次郎、林羅山、契沖)

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江戸時代の文化人3名

茶屋四郎次郎 ⇒江戸時代初期の豪商「特権商人」
林 羅山      ⇒江戸時代初期の朱子学派儒学者
契沖(けいちゅう)⇒江戸時代中期の真言宗の僧、国学者


















文化人(ネットより引用)

茶屋 四郎次郎
安土桃山時代から江戸時代にかけて公儀呉服師を世襲した京都の豪商
茶屋の屋号は、将軍足利義輝が、屋敷に茶を飲みに立ち寄ったことに由来します
初代が、徳川家康と接近し、徳川家の呉服御用を一手に引き受け、三代清次は朱印船貿易で巨万の富を築きました
角倉家、後藤四郎兵衛家とともに「京の三長者」と言われました
鎖国後は、朱印船貿易特権を失い、以後は呉服師・生糸販売を専業としました

林 羅山
京都・建仁寺で仏教を学んだが、僧籍に入ることを拒否し、儒書に親しみ、南宋の朱熹(朱子)を研究しました
藤原惺窩と出会い、精神的、学問的に惺窩の影響を受け、師のもとで儒学ことに朱子学を学びました
羅山は、家康に謁見し、23歳の若さで家康のブレーンの一人となりました
方広寺の梵鐘に刻された、京都南禅寺の禅僧の銘文中の「国家安康」「君臣豊楽」で徳川家を呪詛するものとして問題視した
『寛永諸家系図伝』『本朝通鑑』などの伝記・歴史の編纂・校訂、古書・古記録の採集しました
「武家諸法度」「諸士法度」「御定書百箇条」などの撰定しました
上野忍岡に、私塾と文庫と孔子廟を建て、のちに神田の昌平坂に移されました
徳川家の家康・秀忠・家光・家綱の将軍4代に仕えた羅山は、初期の江戸幕府の土台作りに大きく関わりました

契沖(けいちゅう)
契沖は、大阪市東成区の妙法寺の丯定(かいじょう)に学び、高野山で阿闍梨の位を得ました
『万葉集』の正しい解釈を求める内に、定家仮名遣の矛盾に気づきました
歴史的に正しい仮名遣いを『万葉集』『日本書紀』『古事記』『源氏物語』などの古典から拾い『和字正濫抄』を著しました
表記法は「契沖仮名遣」と呼ばれ、後世の歴史的仮名遣の成立に大きな影響を与えました

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