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江戸時代最大の火災『明暦の大火』とは
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外堀以内全域、天守閣を含む江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失
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死者は、約10万人、江戸城天守はこれ以後、再建されていません
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明暦の大火(ネットより引用)
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火災は、本郷・小石川・麹町の3箇所から連続的に発生しました
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ひとつ目の火災が終息しようとしているところへ次の火災が発生し、江戸市街の6割が焼き尽くされました
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出火場所⇒*本郷丸山(本妙寺)*小石川新鷹匠町(大番衆与力の宿所)*麹町5丁目(在家)
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明暦の大火を契機に江戸の都市大改造
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御三家の屋敷が江戸城外へ転出、武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転
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隅田川への架橋が行われ、隅田川東岸の深川など、市街地が拡大しまし
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火除地や延焼を遮断する防火線として広小路が設置されました(上野広小路などの地名が残っています)
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災害復旧
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火災後、身元不明の遺体は幕府の手により埋葬され、供養のために現在の回向院が建立されました
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諸大名の参勤交代停止および早期帰国(人口統制)などの施策を行って災害復旧に傾注
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松平信綱は、米相場高騰を見越して幕府の金を旗本らに時価の倍の救済金として渡しました
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本妙寺失火説
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麻布の裕福な質屋・遠州屋の娘・梅乃が、本郷の本妙寺の小姓らしき美少年に一目惚れ
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梅乃は、彼のことが忘れられず、恋の病か食欲もなくし寝込んで死亡
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供養にと娘の棺に生前愛した形見の振袖をかけてやりました
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この振袖が、上野の町娘・きのに転売されましたが、この娘も後に病で死亡
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この振袖が、別の町娘・いくのに転売されましたが、この娘も後に病で死亡
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住職は、この問題の振袖を寺で焼いて供養、供養中護摩の火の中に振袖を投げこむと狂風が吹きおこり大火へ
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幕府放火説
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幕府が江戸の都市改造を実行する為放火(住居の過密化・衛生環境の悪化で疫病の流行等)
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都市改造には、住民の説得や立ち退きに対する補償などが大きな障壁となっていました
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実際に、大火後の江戸では都市改造が行われています
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本妙寺火元引受説
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火元は老中・阿部忠秋の屋敷でした、幕府の要請により阿部邸に隣接した本妙寺が火元ということにしました
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火元の本妙寺が、大火後も取り潰しにあわず、それどころか大火以前より大きな寺院となりました
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本妙寺も、江戸幕府崩壊後はこの説を主張しています