$ 0 0 我孫子市の『白樺派』の文人、文化人の足跡を訪ねて散策しました 『手賀沼』の風景に魅せられて、多くの文人、文化人が別荘、自宅を構えました 『白樺文化館』は志賀直哉の名前を付ける意向でしたが、志賀直哉の拒否により白樺文化館となりました 我孫子市は、我孫子駅・白樺文化館等、民間人の寄付による文化施設多いです 飯泉喜雄顕彰碑 常磐線開通時、我孫子町長飯泉喜雄が誘致に乗り出し私財を投じて土地を提供しました 我孫子駅が開業したのを記念し、10年前記念碑が建てられました 我孫子宿名主小熊邸 小熊家は、宿場の問屋兼名主を勤めた名家です 現在の母屋は、茅葺屋根で、江戸時代末期の我孫子宿の面影を残しています 子の神道標・問屋場跡 旧水戸街道から子の神大黒天へ行く道に、我孫子宿が有りました 三樹荘跡・嘉納治五郎別荘跡 白樺葉の文人たちが我孫子に集結するきっかけを作ったのは、民藝運動を起こした柳宗悦です 柳(嘉納)の別荘は、沼を望む高台に有り、椎の木3本屹立してるので三樹荘と命名しました 我孫子市白樺文学館 雑誌「白樺」を中心に発展した白樺派は、大正デモクラシー時代の新しい文芸活動です 白樺派の中心人物志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦らを、多くの同人が訪ねました 文化界をリードした白樺派が、手賀沼のほとりで育ちました 志賀直哉邸跡 弁天山に家付きの土地を買い居を構えました 入居に際し、希望する自邸の景観をスケッチし、大工に示して建てさせ7年滞在しました 旧村川別荘 西洋古代史の大家であった村川堅固氏とその子息堅太郎氏の別荘です 子の神大黒天 ネズミを使徒とする大黒天を奉祀し、腰下の疾患に霊験ありと言われています