吉野を散策しました
金峯神社迄バスで登り、2時間位散策しながら下山しました
『義経の隠れ場』『静か御殿との舞の神社』『後醍醐天皇の南朝』等歴史の宝庫です
吉野山
奈良県吉野町から、大峰山脈へと南北に続く8キロメートルの山稜の総称です
金峯山寺を中心とした、社寺が点在する地域の地名です
信仰登山吉野山と『役小角』
吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場の北端です
飛鳥時代の呪術者・役小角は、大峰山で修行を重ね、金剛蔵王大権現を感得しました
蔵王権現を本尊とする金峯山寺や、修行道である大峯奥駈道を開きました
歴史に登場する吉野山
義経・弁慶らは吉野山に身を隠しましたが、追討を受け東国へ脱出しました
後醍醐天皇は、神器を持って京都を逃れ、吉野山に別の朝廷(南朝)を置きました
南朝とは?
現在の日本には、南朝側も北朝側も存在しません
室町時代に解決された、南北朝天皇なんですが、どちらが正統かという問題が生じました
朝廷も公家も、北朝こそが正統と考え、祭祀も北朝が実施していました
後醍醐天皇の皇統は「天皇家」の分家で、血統上も当然とされていました
水戸藩主の徳川光圀は『大日本史』で
南朝こそが正統と考え、『大日本史』もその線で編纂されました
明治維新以前は、朝廷において『大日本史』は亜流でした
水戸学が維新に大きな影響を与えたので、維新後の世論は南朝正統論が台頭しました
明治天皇は、北朝の血統です
世論は、南朝正統論で、明治天皇は「南朝を正統とする」旨を決定しました
現在、歴代天皇を数える時は、南朝を正規とし、北朝は別枠で示しています
今の天皇が当然北朝側です、
明治末年と異なり、『大日本史』、尊皇思想に遠慮したりする必要無く修正が必要かも?
修正文として「南北朝は並立しましたが、現在の皇統は北朝」ですとのコメントで
金峯神社迄バスで登り、2時間位散策しながら下山しました
『義経の隠れ場』『静か御殿との舞の神社』『後醍醐天皇の南朝』等歴史の宝庫です
吉野山
奈良県吉野町から、大峰山脈へと南北に続く8キロメートルの山稜の総称です
金峯山寺を中心とした、社寺が点在する地域の地名です
信仰登山吉野山と『役小角』
吉野山は、大峰山を経て熊野三山へ続く山岳霊場の北端です
飛鳥時代の呪術者・役小角は、大峰山で修行を重ね、金剛蔵王大権現を感得しました
蔵王権現を本尊とする金峯山寺や、修行道である大峯奥駈道を開きました
歴史に登場する吉野山
義経・弁慶らは吉野山に身を隠しましたが、追討を受け東国へ脱出しました
後醍醐天皇は、神器を持って京都を逃れ、吉野山に別の朝廷(南朝)を置きました
南朝とは?
現在の日本には、南朝側も北朝側も存在しません
室町時代に解決された、南北朝天皇なんですが、どちらが正統かという問題が生じました
朝廷も公家も、北朝こそが正統と考え、祭祀も北朝が実施していました
後醍醐天皇の皇統は「天皇家」の分家で、血統上も当然とされていました
水戸藩主の徳川光圀は『大日本史』で
南朝こそが正統と考え、『大日本史』もその線で編纂されました
明治維新以前は、朝廷において『大日本史』は亜流でした
水戸学が維新に大きな影響を与えたので、維新後の世論は南朝正統論が台頭しました
明治天皇は、北朝の血統です
世論は、南朝正統論で、明治天皇は「南朝を正統とする」旨を決定しました
現在、歴代天皇を数える時は、南朝を正規とし、北朝は別枠で示しています
今の天皇が当然北朝側です、
明治末年と異なり、『大日本史』、尊皇思想に遠慮したりする必要無く修正が必要かも?
修正文として「南北朝は並立しましたが、現在の皇統は北朝」ですとのコメントで