高山寺の概況
檀家を持たない寺院で、辺鄙な場所に有る為、観光客も少なく寺院の経営は大変と思います
世界文化遺産ですが、登録寺院から申し込んだのでなく、ユネスコが独自調査で登録したとの事です
国宝の管理大変なため、京都国立博物館に寄贈したとの事です
『国宝石水院』も8年前1億円かけて、国の補助・自己資産で修繕したとの事です
高山寺(引用)
高山寺歴史
創建は奈良時代で、宗派は真言宗、鎌倉時代の明恵が実質的開祖です
「鳥獣人物戯画」、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院です
紅葉の名所として知られ、古代より山岳修行の適地として小寺院が営まれていました
高山寺開祖明恵上人
法然の唱えた「専修念仏」の思想を批判し、華厳宗の復興に努めました
「専修念仏」は、菩提心や戒律を重視する、明恵の思想とは相反するものでした
明恵は、後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、「日出先照高山之寺」の額を下賜されました
中世以降の歴史
戦乱や火災で焼失し、鎌倉時代の建物は石水院を残すのみです
石水院(国宝)は、鎌倉時代の建築で、後鳥羽上皇が学問所(経蔵)として下賜されたものです
高山寺茶園
臨済宗の開祖栄西が、中国の南宋において種を得て、帰国後に明恵に贈りました
明恵はこれを初めは栂尾山に植え、その後宇治その他の土地に広まりました
高山寺文化財
鳥獣人物戯
明恵上人像
神護寺は、高野山真言宗の寺院です
空海が、東寺や高野山の経営に当たる前に住したお寺で、最澄もここで法華経の講義しました
和気氏の私寺「神願寺」と「高雄山寺」2つの寺院が合併してできた寺です
高い場所にあり、階段で長時間登るため、老人が参拝するのには不向きなお寺です
金堂で、懇切丁寧な説明を受け、疲れが一変に解消されました
檀家を持たない、個人経営のお寺です
神護寺(引用)
和気清麻呂
僧・道鏡の皇位継承問題にからんで流罪になりました
清麻呂は「宇佐八幡は、臣下の者が皇位に就くことを望んでいない」と奏上し、道鏡の皇位継承に反対しました
天皇の死亡により、道鏡は左遷され、清麻呂は許されて都に戻りました
、
和気弘世(清麻呂の長男)は、三周忌を営みました
最澄を高雄山寺に招請し、最澄はここで法華会を行いました
空海が高雄山寺に住し、灌頂(密教の重要な儀式)を行いました
灌頂を受けた者の氏名を書き付けた、空海自筆の名簿が現存し国宝に指定されています
木造薬師如来立像(国宝)
一木造、唇に朱を、眉、瞳などに墨を塗るほかは彩色などを施さない素木仕上げの像です
目を細めた森厳で沈うつな表情と体躯のボリューム感は、親しみよりも威圧感を与えます
源頼朝像(国宝)
肖像画は、作者は似絵の名手・藤原隆信です
梵鐘
鐘の表面に鋳出された長文の銘文は、文人の橘広相が詞を、菅原是善(道真の父)が銘を作りました
歌人で能書家でもあった藤原敏行が字を書いたもので、「三絶の鐘」と言われています
檀家を持たない寺院で、辺鄙な場所に有る為、観光客も少なく寺院の経営は大変と思います
世界文化遺産ですが、登録寺院から申し込んだのでなく、ユネスコが独自調査で登録したとの事です
国宝の管理大変なため、京都国立博物館に寄贈したとの事です
『国宝石水院』も8年前1億円かけて、国の補助・自己資産で修繕したとの事です
高山寺(引用)
高山寺歴史
創建は奈良時代で、宗派は真言宗、鎌倉時代の明恵が実質的開祖です
「鳥獣人物戯画」、絵画、典籍、文書など、多くの文化財を伝える寺院です
紅葉の名所として知られ、古代より山岳修行の適地として小寺院が営まれていました
高山寺開祖明恵上人
法然の唱えた「専修念仏」の思想を批判し、華厳宗の復興に努めました
「専修念仏」は、菩提心や戒律を重視する、明恵の思想とは相反するものでした
明恵は、後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられ、「日出先照高山之寺」の額を下賜されました
中世以降の歴史
戦乱や火災で焼失し、鎌倉時代の建物は石水院を残すのみです
石水院(国宝)は、鎌倉時代の建築で、後鳥羽上皇が学問所(経蔵)として下賜されたものです
高山寺茶園
臨済宗の開祖栄西が、中国の南宋において種を得て、帰国後に明恵に贈りました
明恵はこれを初めは栂尾山に植え、その後宇治その他の土地に広まりました
高山寺文化財
鳥獣人物戯
明恵上人像
神護寺は、高野山真言宗の寺院です
空海が、東寺や高野山の経営に当たる前に住したお寺で、最澄もここで法華経の講義しました
和気氏の私寺「神願寺」と「高雄山寺」2つの寺院が合併してできた寺です
高い場所にあり、階段で長時間登るため、老人が参拝するのには不向きなお寺です
金堂で、懇切丁寧な説明を受け、疲れが一変に解消されました
檀家を持たない、個人経営のお寺です
神護寺(引用)
和気清麻呂
僧・道鏡の皇位継承問題にからんで流罪になりました
清麻呂は「宇佐八幡は、臣下の者が皇位に就くことを望んでいない」と奏上し、道鏡の皇位継承に反対しました
天皇の死亡により、道鏡は左遷され、清麻呂は許されて都に戻りました
、
和気弘世(清麻呂の長男)は、三周忌を営みました
最澄を高雄山寺に招請し、最澄はここで法華会を行いました
空海が高雄山寺に住し、灌頂(密教の重要な儀式)を行いました
灌頂を受けた者の氏名を書き付けた、空海自筆の名簿が現存し国宝に指定されています
木造薬師如来立像(国宝)
一木造、唇に朱を、眉、瞳などに墨を塗るほかは彩色などを施さない素木仕上げの像です
目を細めた森厳で沈うつな表情と体躯のボリューム感は、親しみよりも威圧感を与えます
源頼朝像(国宝)
肖像画は、作者は似絵の名手・藤原隆信です
梵鐘
鐘の表面に鋳出された長文の銘文は、文人の橘広相が詞を、菅原是善(道真の父)が銘を作りました
歌人で能書家でもあった藤原敏行が字を書いたもので、「三絶の鐘」と言われています