
☆福井藩の藩医の家に生まれた橋本左内
*15歳で「啓発録」を著し天才ぶりをあらわしていた
☆藩主・松平春嶽の抜てきを受け政治の表舞台で活躍する左内
☆西郷隆盛も心酔したその才知
*左内は近代日本の姿を予言するような手紙をしたためる

☆大坂に出て適塾で医者の緒方洪庵に師事する
☆父が病死すると、外科担当の藩医の列に加えられた
☆杉田成卿に師事し、蘭方医学を学ぶ
☆水戸藩の藤田東湖、薩摩藩の西郷吉之助、小浜藩の梅田雲浜、熊本藩の横井小楠らと交流する
☆窮迫した時勢に接するうちに、佐内は医学を離れ御書院番組に転じた
☆福井藩主の松平春嶽(慶永)に側近として登用される
☆江戸詰めを命じられ、藩主の側近として藩の政治、国の政治に大きな関わりを持つ
☆江戸幕府14代将軍を巡る将軍継嗣問題では、春嶽を助け一橋慶喜擁立運動を展開
☆幕藩体制は維持した上で、地政学の観点から日本の安全保障を弁じた先覚者
☆井伊直弼により安政の大獄が始まり、春嶽が隠居謹慎を命じられる
☆佐内も、将軍継嗣問題に介入したことを問われ謹慎を命じられた
☆伝馬町牢屋敷で斬首、享年26歳

☆福井藩士の嫡男として福井県福井市に生まれる
☆福井を訪れた横井小楠の殖産興業策に触発され、横井から財政学を学ぶ
☆橋本左内らと国事に奔走し、藩主・松平慶永から財政手腕を評されて抜擢された
☆藩札発行と専売制を結合した殖産興業政策で窮乏した藩財政を再建する
☆慶永が幕府政事総裁職に就任すると、慶永の側用人に就任する
☆藩論を巡って、薩摩藩や長州藩など雄藩支持の両派の提携を画策
*支持が得られず福井にて蟄居・謹慎処分
☆謹慎中に坂本龍馬の来訪を受けて交流を深める
*坂本とは新政府が取るべき経済政策について談義
*このことが新政府への参画を求められたことへ結びついた
☆明治維新後、土佐藩の福岡孝弟らと共に五箇条の御誓文の起草に参画
☆新政府では徴士参与として、金融財政政策を担当
*太政官札の流通難など政策への批判が高まった結果に辞職する
☆脳溢血のため東京の自宅で死去79歳

☆幕末から明治時代初期にかけての大名、政治家16代越前福井藩主
☆田安徳川家第3代当主・徳川斉匡の八男、将軍・徳川家慶の従弟
☆藩主で幕末四賢侯の一人と謳われている


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橋本左内、由利公正、松平春嶽
(「NHK番組(歴史秘話ヒストリア)」テレビ画面より画像引用)