

☆鎌倉幕府滅亡後、王政復古を目指した後醍醐天皇の夢がついえる
(政権は足利家の開いた室町幕府へ)
☆鎌倉から京都へと政権が戻り、幕府と朝廷の寄進を受けた臨済宗仏教寺院が興隆
☆室町幕府三代将軍義満は御所の隣に相国寺を建立
(日本最大の七重塔や塔頭、鹿苑寺の金閣を作る)
☆京都五山を中心とする臨済宗寺院は中国の明とも交流
☆五山文学や建築文化が花開く
(喫茶の習慣や絵画、陶磁器の外来の文化が禅僧により伝わる)
☆それらの文化財は寺院に保管され今日に伝わる

☆室町幕府は政治的には極めて不安定な時代
(鎌倉幕府は、御家人と幕府は「いざ鎌倉」の精神でつながていた)
☆室町幕府では、守護大名と呼ばれた地方政権が大きな力をもっていた
☆15世紀に入ると将軍は貴族化し政治能力を失う
☆応仁の乱により守護大名が東西両軍に別れて戦う
☆京都は荒廃し、戦国時代に突入し宗教界も荒廃
☆治安の悪化を嫌った文化人や僧侶は、戦国大名の庇議を受け避難する
(文化も地方へ浸透)

☆開祖親鸞の死後、京都東山大谷の本願寺を拠点に活動していた浄土真宗
☆蓮如の登場を期に大きく発展
☆蓮如は親鸞の教えを「御文(御文章)」で庶民にもわかりやすく説く
☆身分を超えた信者同士のコミュニケーションの場「講」を利用し急激に信者を増やす
☆生涯27人の子を設けた蓮如(彼らを地方に送り込んで活動させ勢力を伸ばす)
☆蓮如は越前に最初の拠点を設け、北陸の大勢力となる
☆応仁の乱に誘発された加賀の国の内乱
☆一向宗(浄土真宗の別称)の門徒たちは守護大名を追い出す
(一向宗の門徒による政治が行われた)
☆加賀の国以外でも、一向一揆が頻発してゆく


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宗教指導者がいれば日本人も大人しくしていない
(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)