
☆法然は、既存の仏教界の反撃で流罪となった
☆親鸞も、既存の仏教界より、還俗させられ越後に流罪となった
☆法然・親鸞は後に許されたが、京都に戻り、法然は間もなく死亡
☆師(法然)を失った親鸞は、流刑地から関東へ伝道の旅に出る
☆鎌倉幕府が専修念仏を禁止する
☆親鸞は京都に戻り著作活動で、『教行信証』を残して浄土真宗の開祖となる
☆阿弥陀仏信仰が中心の新仏教
(体制側につきがちな仏教界に反発し大衆の救済を目的として生まれた)

☆総本山知恩院、大本山増上寺を中心に今にその教えを伝える
☆浄土真宗よりマイルドな浄土宗は権力者の帰依を受ける
☆徳川家康の家門の宗教
(知恩院のほか法然院、直指庵、清涼寺、念仏寺など名刹を残す)

☆室町時代蓮如が中興し急激に信徒を拡大
☆北陸で独立王国を建設するまでに膨れあがる
☆浄土真宗は当時の仏教界のなかで唯一妻帯を認めたた
☆親鸞の血統が残り、子孫が継承する宗派と弟子が伝える宗派に分裂する

☆鎌倉末期、念仏中心主義の新派、一遍が興した時宗が生まれる
☆一遍は、浄土教系の念仏中心主義とは異なる立場をとる
☆念仏を唱えればその効力は唱える本人だけではなく、周囲の人まで及ぶと説く
☆一遍は生涯を通じて寺院を建立することなく、全国を歩き布教活動行う
☆遊行の際には「御賦算」というお札を配る
☆お札には「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と書かれている
(六十万人にお札を配ることを願っていた)
☆一遍は空也がはじめた踊念仏を取り入れた
(鉦や太鼓を叩いて遊行し大衆に受け入れられ、爆発的な人気となる)
☆一遍の弟子により、遊行寺(清浄光寺藤沢市)を本山とした
☆室町時代後期に、浄土真宗に蓮如が現れる
☆時宗は浄土真宗の組織的な布教活動に押され衰退


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一遍が時宗を興し、蓮如は真宗を中興する
(ネットより画像引用)