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楠木正成(菊水の紋章 特攻)

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楠木正成(建武新政の立役者となった忠君の鑑)

 ☆2年後足利尊氏が離反した後も、天皇の命に従い、最後は無謀とも言える戦いの末自刃した
 ☆楠木正成の活躍&名声のポイント
 (後醍醐天皇に尽くし忠義心が凄く鎌倉幕府滅亡にも貢献した)
 (勝ち目のない戦でも、逃げずに戦い抜いた「桜井の別れ(太平記)」)

楠木正成のプロフィール
 ☆現在の大阪河内国の権力と財力を持っていた地方豪族の家に生まれる
 ☆幼い頃お寺で仏教を学んだ経験を持ち、知識の面でも大変優れていた
 ☆大阪は、天皇や貴族の支配していた土地が多く、鎌倉幕府の力が及ばない土地柄だった
 ☆正成のような存在は、幕府の支配力でコントロールできない人々でした
鎌倉幕府は危機的な状況が続き力を失う(元寇を契機に)
 ☆後醍醐天皇は、武士に政治を任せておけないと思い行動する
 ☆「正中の変」幕府にバレて失敗
 ☆後醍醐天皇は、再び倒幕に向けて「元弘の乱」が起こす
 (幕府に不満を持つ貴族や武士を集め後醍醐天皇再度倒幕活動)
 (正成も、後醍醐天皇の意思に想いを寄せ、一緒に倒幕を目指し戦う)
 (計画は失敗し、倒幕がバレた後醍醐天皇は笠置山に身を隠す)
 (後醍醐天皇は、島流しにあい隠岐の島に流された)
 ☆正成は、赤坂城で個性的な戦法で熱戦を繰り広げ幕府軍を苦しめた
 ☆正成は、後醍醐天皇が島流しになっている間も、倒幕に向けて戦を続けた
 ☆正成に影響された足利尊氏や新田義貞らが、鎌倉幕府へ兵を向け幕府滅亡
鎌倉幕府の滅亡(後醍醐天皇による「建武の新政」)
 ☆天皇を中心とした新政は、天皇や貴族、寺院が権力と財力を持つ仕組み
 ☆倒幕へ導いた正成たち武士には、何のメリットもない政治だった
 ☆武士に目を向けない政治に、一番に不満の声を挙げたのが足利尊氏
 ☆尊氏の気持ちにも理解が出来る正成は、後醍醐天皇に武士の待遇が上がるようにと願い出る
 (聞き入れられず、正成は尊氏とライバルになり戦う結果となる)
 ☆正成は、武士としての気持ちを抑え後醍醐天皇への忠義心を貫いた
湊川の戦い(尊氏率いる20万の兵と正成率いる800人の兵)
 ☆勝ち目はないと知りながら、後醍醐天皇に背くことなく戦い、自害に追い込まれまれた
 (精一杯力の限り後醍醐天皇に忠義を尽くすも命を落とした正成)
 ☆後世のたくさんの人々が同情を寄せた
正成の人気の理由の「桜井の別れ」
 ☆『太平記』の名場面、戦前の学校の教科書には必ず載っていた
 ☆勝ち目のない戦いと知りながら「湊川の戦い」の前の長男正行との正成の別れ
 ☆討ち死する覚悟で尊氏との戦いに向かう正成(子の正行は「自分も一緒に行く」と言い張る)
 ☆正成はそれを拒絶する
 (「自分が居なくなった世でも、後醍醐天皇に背く者が居たら倒しなさい」と言い残す)
 ☆菊水の紋が入った短刀を、長男に形見として託す
 ☆正成は、勇敢に湊川の戦いに向かっていきました
 ☆戦前の大人たちは、その情景を子供達に熱く語っていた
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出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
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私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHK英雄たちの選択、れきし上の人物.com














楠木正成(菊水の紋章 特攻)(NHK英雄たちの選択テレビ画面他より画像引用)





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