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加藤清正公(名所と歴史に学ぶ2)

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加藤清正公(秀吉股肱の武将)

日本橋浜町の清正公寺(肥後本妙寺別院)
 ☆浜町公園一帯は江戸時代熊本藩細川家の下屋敷
 ☆藩主細川斉護が、熊本の本妙寺から勧請した
 ☆細川家が、前藩主の加藤清正を丁重に敬った
名古屋妙行寺(清正の生誕地、尾張中村)
 ☆境内には「清正公誕生之地」の石碑と清正の「甲冑姿の銅像」が建つ
 ☆清正はこの地で生まれ、秀吉とは遠い親威にあたる
 ☆妙行寺の隣に山号を大閣山という常泉寺がある(清正が創建)
 ☆境内には「秀吉産湯の井戸」や「豊臣秀吉像」が建立されている
名古屋城
 ☆関ヶ原の戦いの後、徳川家康九男の義直に尾張一国を与えた
 ☆徳川家康の「天下普請」と呼ばれる一連の築城工事の一環である
 ☆名古屋城の築城に加藤清正は貢献した
 ☆城の正門前に清正の銅像が建っている
 ☆城内の石垣は、ゆるやかな勾配がついており清正流石垣と呼ばれる
 (基礎が強く崩れることもなく、攻めにくく見栄えもよい)
 ☆「清正石曳き像」、石垣には「清正石」と呼ばれる石がある
松本(清正公駒つなぎの桜)
 ☆松本城主は石川数正の息子康長と清正は盟友であった
 ☆加藤清正は、盟友が城主就任のお祝いに松本城に立ち寄った
 ☆このとき駒をつないだのが松本城内こ枝垂れ桜
熊本(熊本城)
 ☆城内に入る行幸橋のたもとに加藤清正の立派な銅像がある
 ☆清正は、日本三大名城のひとつに数えられる熊本城を築いた
 ☆肥後半国の領主として隈本城に入り、肥後54石国の大名となる
 ☆熊本城の築城に着手し完成させ、隈本を熊本と改名した
 ☆土木、治水をはじめ城下町の形成に力を注ぎ、熊本市の基礎を築いた
 ☆能本では神様として崇められている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『戦国と幕末』














加藤清正公(名所と歴史に学ぶ2)(『戦国と幕末』記事より画像引用)

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