

☆藤原氏で、もっとも栄えた藤原北家の出身
☆早くに父を失い、都で出世は望めなく地方官として過ごす
☆瀬戸内海を往来する船を護り海賊たちを鎮圧する地方長官に就任

☆伊予の日振島に本拠を構え1千隻以上の大軍を操り周辺の海域を荒らし回る
☆他の海賊と手を組み、瀬戸内海を航行する官船を次々に襲い始めた
☆侵略の範囲を畿内にも広げ、部下に備前国と播磨国を襲撃させた
☆淡路国、讃岐国、大宰府をも襲撃し略奪の限りを尽くす

☆2人の反乱は、ほぼ同時だったため、朝廷は共謀しているのではと驚愕し恐れた
☆2人の乱を合わせ「承平天慶の乱」と呼ぶ、平安時代最大の戦乱

☆朝廷は、将門を討ったことで、その軍を純友に向ける
☆純友軍は本拠地日振島で朝廷軍を迎え撃つもここで敗れる
☆逃れながら戦い続けるがついに敗戦


☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します




藤原純友(反逆者)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)