

☆徳川政権で初めての養子の将軍です
☆将軍就任当初には熱心に政治に取り組み「天和の治」と呼ばれる善政を行った
☆将軍の後半は、「生類憐みの令」を発令し”大公方”と呼ばれた

☆「動物は大事に」
☆野大に襲われても抵抗した者を罰する、人間よりも動物を優先にする法律
☆野大がふえても、追い払ったり叩いたり、殺すことはできない
(動物に噛みつかれ、けが人や病人が増えた)
☆29万坪の大小屋を建て、小屋に専属の大役人を置いた

☆綱吉が子宝に恵まれなかった
☆僧は、綱吉に「人に子ができないのは、前世で殺生した報い」と諭した
(殺生をやめ生類を憐みなさいと言われたことがきっかけ)

☆堀田が、「生類憐みの令」に反対し暗殺されたのでは?
☆堀田の死後は、側用人として柳沢吉保を重用
☆綱吉は、政治が疎かになり、学問、文化等に興味を抱く
☆江戸時代でもっとも腐敗していた時期


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悪政者(徳川綱吉)生類憐みの令(『日本史”悪役”100人)』記事より画像引用)