

☆世に「駿河大納言」と謳われたが、常軌を逸した残虐行為を行う
☆駿河国の浅間神社は、殺生禁断の地とされていた
☆忠長はそこに住む神獣の猿を狩りで1200匹↑を殺傷
☆忠長は気まぐれから家臣や奥女中を手打ちにした

☆2代将軍の秀忠は、忠長に甲州での蟄居を命じた
☆秀忠の死後、家光が親政を行っていたが、家光病に倒れる

☆家臣や大名が、家光の死後に忠長の擁立を画策し戦の準備をしていた
☆家光は、忠長を上野国高崎城に幽閉し、自刃させた。
☆忠長が死に追いやられた背景には、家光との確執があった
(春日局が、家康に将軍として家光をお願いし、忠長が将軍になれなかった)


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横暴者・狼藉を行つた者( 徳川忠長)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)