

☆生家は京都有数の呉服商「雁金屋」
☆本阿弥光悦とも姻戚関係にある家系で、幼少時から優雅な生活を送った
☆父の死後莫大な遺産を手にするが、奔放な光琳はやがて使い込んでしまう

☆40歳を前に絵師として自立する道を選んだ
☆年齢的には遅い出発だったが、瞬く間に才能を発揮し琳派を大成した
☆弟・乾山とともに美術界にその名を輝かせる
☆数年で法橋に叙せられ、「燕子花図屛風」などの傑作を手がけた
☆銀座年寄役のパトロンを得て江戸へ移る
☆儒学を重んじる武家社会の窮屈さに馴染めず京都へ舞登戻った
☆京都での晩年は充実した制作期間となる


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尾形光琳(国宝作品数四天王)(『「技」の巨匠100人(世界文化社)』