

☆嵯峨天皇が崩御すると、桓武天皇の第三皇子である淳和天皇が即位する

☆その皇太子には、淳和天皇の第二皇子・恒貞親王が就いた

☆恒貞親王を奉じて伴健琴、橘逸勢らが謀反を企てていると逮捕され二人は流罪
☆恒貞親王も廃太子となる
☆藤原北家の実力者、藤原良房が彼らを排斥するために仕組んだ謀略?

☆藤原良房の父、冬嗣は嵯峨天皇に重用された
☆冬嗣の娘の順子は、正良親王(仁明天皇)の妃こなり、二人間に通康親王が生まれた
☆承和の変後、藤原良房は通康親王を皇太子にする
☆天皇の外威として藤原北家が急速に台頭
☆仁明天皇崩御後、通康親王(文徳天皇)が天皇に即位
☆皇太子に選ばれたのは、良房の娘・明子と文徳天皇の間に生まれた惟仁親王
☆惟仁親王は、9歳で清和天皇として即位する

☆政務・儀式を行う朝堂院の正門である応天門が炎上する
☆伴善男は大逆罪に問われ、伊豆へ流罪となった



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☆本には、綺麗な絵画が記載されています


藤原北家(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)






☆跡継ぎの基経を中納言に抜擢する
☆姪の高子を入内させ、藤原北家の地位を盤石なものにした


☆第六皇子・貞純親王の子、源経基の子孫は繁栄
