

☆『古事記』の中で、優秀な巫女として描かれている神功皇后
☆第14代仲哀天皇の皇后で、三韓征伐を指揮した
☆仲哀天皇は福井→和歌山→山口と都を変え、熊襲の謀反で、筑紫の香椎宮に移り拠点とした
☆仲哀は神功を巫女にして帰神を行なう

☆神功皇后は、神の言葉「熊襲征伐よりも先に西方の国を攻めるように」という神託を告げた
☆仲哀天皇は、神の言葉を信じず、熊襲征伐を続けた
☆怒った神は「おまえは天下を治める器にあらず、黄泉国へ向かえ」と、仲哀天皇に告げた
☆仲哀天皇軍は戦いに破れ撤退し、仲哀天皇は、筑紫の香椎宮で事切れてしまった

☆驚いた大臣達は、天皇の遺骸を殯宮に移すと、再び皇后を巫女にして神託を求めた
☆得られた神託は、前回と同様の神託であった
☆更に、神は「この国は神功皇后のお腹にいる御子が治める」と告げた
☆神功皇后は、西の国を目指し、筑紫から玄界灘を渡り、朝鮮半島に出兵した
☆出兵結果は、戦いに勝利し、朝鮮南部を支配下に置く


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☆本には、綺麗な絵画が記載されています



神功皇后(『歴代天皇史(三栄書房)』記事、ネットより画像引用)


☆出産を遅らせる(後の応神天皇は、1年以上も生まれなかった)

☆百済と高句麗も朝貢を約してきた




☆神功皇后軍は、大臣らの働きで、無事に反乱を鎮めた
