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アラブ帝国とともに拡大したイスラーム教
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イスラーム共同体の拡大とアラブ帝国の成立
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ムハンマドが没すると、イスラーム共同体(ウンマ)は動揺
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ウンマは、ムハンマドの後継者(カリフ)の初代カリフを選出
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初代カリフは、ウンマを束ね、マディーナ(メディナ)を拠点に周辺地域への征服活動を再開
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ウンマの合議などによって選ばれた4代までのカリフを「正統カリフ」とよぶ
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第4代カリフアリーが暗殺され、ムアーウイヤがカリフに就任しウマイヤ朝が成立した
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ウマイヤ朝は、アラブ帝国拡大
☆ウンマは、ササン朝ペルシアを滅ばした
☆ビザンツ(東ローマ)帝国からシリアやエジプトを奪うなど、支配地域を拡大
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知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
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記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
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出典、『宗教史(成美堂)』
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正統カリフ時代とウマイヤ朝(『宗教史(成美堂)』記事より画像引用)
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第4代カリフのアリー時代
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ウンマ内でカリフの座をめぐる内部抗争が激化
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アリーは暗殺され、対立していたウマイヤ家のムアーウィヤがカリフとなる
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ウマイヤ家がカリフを世襲しウマイヤ朝が誕生した
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ウマイヤ朝も周辺への征服活動を進める
☆イベリア半島からインダス川流域に及ぶ大帝国を築きあげた
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「アラブ帝国」(ウマイヤ朝)
☆支配体制は、特権的なアラブ人が被征服民を支配する
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ウマイヤ朝成立で、ウンマが分裂
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正統カリフ時代からウマイヤ朝成立期にかけての内紛
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ウンマの分派が始まり、2大派閥、「スンナ派」と「シーア派」が成立
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第4代カリフとなったアリーは、ウマイヤ家を支持する党派と対立
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シーア・アリーから分派したのが、強硬姿勢を貫く「ハワーリジユ派」
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ハワーリジユ派は、アリーを暗殺、ムアーウイヤがカリフに就任しウマイヤ朝が成立
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今日の二大派閥が誕生
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ウンマ内で大多数を占めていたのは、両党派の対立を静観していた中立派の人々
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中立派は、ウマイヤ朝成立により、ムアーウイヤを支持する(スンナ派の母体)
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シーア・アリーは、ウマイヤ朝を認めず、アリーを初代イマーム(指導者)とする
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彼の子孫が代々イマームの権利をもつと考えるシーア派を形成
☆シーア派はアリーの子孫の誰をイマームとするかによって分派をくり返す
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現在では、シーア派の約90%を「十二イマーム派」が占めている