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石橋湛山(ジャーナリスト、政治家)
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戦前は、日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱えた
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敗戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張
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総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し退陣
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退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした
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知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
☆番組の画面引用しています
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NHKBS番組『昭和選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)
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石橋湛山(NHKBS番組『昭和の選択』画面引用)
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石橋湛山学生時代
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山梨県立尋常中学校に7年間在籍(2年落第)
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中学校5年生時『校友会雑誌』理事を務めている
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早稲田大学高等予科の編入試験を受けて合格
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石橋湛山ジャーナリスト時代
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毎日新聞社に入社
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軍隊の哲学に関心を持ち、社会生活・団体生活への順応性の重視を痛感した
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東洋経済新報社に入社する
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大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として「民主主義」を提唱する
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帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張
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リベラルな言論人として知られる
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『東京経済新報社』を中心とした経済倶楽部を創設
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石橋湛山日本敗戦直後の論説
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「更正日本の進路〜前途は実に洋々たり」と述べている
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科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいと述べている
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『東洋経済新報社論』「靖国神社廃止の議」で、靖国神社の廃止を主張
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石橋湛山政界時代
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日本自由党から総選挙に出馬して落選、第1次吉田内閣の大蔵大臣として入閣
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大蔵大臣在任時には、インフレーションを進め「石橋財政」を推進した
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アメリカに嫌われ、公職追放令によりGHQにより公職追放された
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公職追放からの復帰後、通商産業大臣に就任
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中華人民共和国、ソビエト連邦との国交回復を主張したが、アメリカの猛反発を受ける
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石橋湛山内閣総理大臣に就任
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内閣発足直後に、全国遊説を行い、帰京した直後に自宅の風呂場で倒れた(軽い脳梗塞)
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絶対安静が必要との医師の診断を受けて、総理大臣を退陣した
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日本社会党の浅沼書記長は、「政治家はかくありたい」と述べた
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石橋湛山内閣総理大臣退陣後
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冷戦構造を打ち破り、日本がその掛け橋となる日中米ソ平和同盟を主張
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国交の無い中国を訪問し石橋・周共同声明を発表した
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日米安保条約改定には、本会での議決を欠席し、自民党内ハト派の重鎮として活躍した