Quantcast
Channel: 慶喜
Viewing all articles
Browse latest Browse all 13377

昭和選択(石橋湛山さん)

$
0
0
石橋湛山(ジャーナリスト、政治家)

戦前は、日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱えた
敗戦後は「日中米ソ平和同盟」を主張
総理総裁となったが、在任2ヵ月弱で発病し退陣
退陣後は中華人民共和国との国交正常化に力を尽くした
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
 ☆番組の画面引用しています
NHKBS番組『昭和選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)




















石橋湛山(NHKBS番組『昭和の選択』画面引用)

石橋湛山学生時代
山梨県立尋常中学校に7年間在籍(2年落第)
中学校5年生時『校友会雑誌』理事を務めている
早稲田大学高等予科の編入試験を受けて合格

石橋湛山ジャーナリスト時代
毎日新聞社に入社
軍隊の哲学に関心を持ち、社会生活・団体生活への順応性の重視を痛感した
東洋経済新報社に入社する
大正デモクラシーにおけるオピニオンリーダーの一人として「民主主義」を提唱する
帝国主義に対抗する平和的な加工貿易立国論を唱えて台湾・朝鮮・満州の放棄を主張
リベラルな言論人として知られる
『東京経済新報社』を中心とした経済倶楽部を創設

石橋湛山日本敗戦直後の論説
「更正日本の進路〜前途は実に洋々たり」と述べている
科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいと述べている
『東洋経済新報社論』「靖国神社廃止の議」で、靖国神社の廃止を主張

石橋湛山政界時代
日本自由党から総選挙に出馬して落選、第1次吉田内閣の大蔵大臣として入閣
大蔵大臣在任時には、インフレーションを進め「石橋財政」を推進した
アメリカに嫌われ、公職追放令によりGHQにより公職追放された
公職追放からの復帰後、通商産業大臣に就任
中華人民共和国、ソビエト連邦との国交回復を主張したが、アメリカの猛反発を受ける

石橋湛山内閣総理大臣に就任
内閣発足直後に、全国遊説を行い、帰京した直後に自宅の風呂場で倒れた(軽い脳梗塞)
絶対安静が必要との医師の診断を受けて、総理大臣を退陣した
日本社会党の浅沼書記長は、「政治家はかくありたい」と述べた

石橋湛山内閣総理大臣退陣後
冷戦構造を打ち破り、日本がその掛け橋となる日中米ソ平和同盟を主張
国交の無い中国を訪問し石橋・周共同声明を発表した
日米安保条約改定には、本会での議決を欠席し、自民党内ハト派の重鎮として活躍した

Viewing all articles
Browse latest Browse all 13377

Trending Articles