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Channel: 慶喜
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”ライオン宰相”が夢見た平和(軍縮)に挑んだ男

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浜口雄幸(オバマも求めている平和と核軍縮)

昭和初期、首相として信念を貫き、凶弾がもとで亡くなった悲劇の政治家
政治生命をかけて臨んだのが、昭和5年のロンドン海軍軍縮会議
軍縮の国際協調路線を歩み、軍事費を削って国民生活の向上にむけようとした浜口
浜口首相に日本海軍が大反対
米英に妥協し軍縮すれば国防に責任が持てなくなるとの海軍の脅しの中での浜口首相の決断
NHKBS番組『昭和の選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)






















浜口首相(NHKBS番組『昭和の選択』画面引用)

ロンドン海軍軍縮会議
1930年に開催された列強海軍の補助艦保有量の制限を主な目的とした国際会議
イギリスのロンドンで開かれ、開催期間約3ケ月
イギリス、日本、アメリカ、フランス、イタリアの第一次世界大戦の戦勝国である五大国
フランスおよびイタリアは潜水艦の保有量制限などに反発し、結局部分的な参加にとどまった

条約の内容
日本側は若槻禮次郎元総理を首席全権、外務省情報局長を政府代表として派遣
イギリスもマクドナルド首相、アメリカもスティムソン国務長官を派遣して交渉に当たらせた
交渉は各国の意見が対立して難航した

ロンドン海軍軍縮会議条約の決定内容
添付画像の如くです

ロンドン海軍軍縮会議で日本の方針と決定内容
日本の内閣は、対英米7割を希望したが、対英米6.975割とする妥協案の提示案を受諾した
軍令部は、重巡洋艦保有量が対アメリカ6割に抑えられたこと等の理由で条約拒否の方針を唱えた
枢密院本会議は、満場一致で条約を可決し、正式に条約が批准された
海軍内部は、条約に賛成する「条約派」とこれに反対する「艦隊派」という対立構造が生まれた
政府が、緊縮財政を進め、海軍の予算を大幅に削ったことも艦隊派の不満を高めた
1935年第2回の海軍軍縮会議が開催されたが、日本は脱退し、軍縮時代は終わった

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