$ 0 0 水戸光圀公の出生の秘密と鎌倉 水戸光圀公は、ドラマのような日本全国を巡る旅をしてはいませんでした 日本の歴史を書物にまとめるために、日本各地へ学者を派遣し、情報を集めさせたました BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)の番組参考&引用 水戸黄門様(「尾上松也さんの古地図で謎解き!」の番組画面引用) 大日本史編集 光圀公が生涯をかけて編さんに挑んだ、日本の歴史をまとめた書物です 完成は、明治に入ってからで、情報量が膨大であるかを物語っています 光圀公は、京都・奈良をはじめ、日本各地に学者を派遣し情報を収集させました 大日本史編さんチームが、全国の各藩を尋ね歩いた史実が「水戸黄門漫遊記」のモデルです ドラマのように黄門様自身が、全国を訪ね歩いた訳ではありません 助さんのモデルとなった人も、編さんチームに含まれています 武士が戦乱の場での活躍の機会を失った事から、歴史書の編さんで名を上げようと行動しました 鎌倉地方だけは、水戸光圀公が自分の足で情報を収集 鎌倉には、水戸光圀公の数奇な出生の秘密が隠されていました 徳川家と鎌倉との深い関係⇒徳川家清和源氏のルーツ⇒源頼朝(武家政権始めて設立) 鎌倉観光の火付け役は光圀公⇒鎌倉の名所旧跡を本を出版し紹介 光圀公の黄門様の呼び名は、中国の官位の名称 「水戸黄門漫遊記」の上だけでの呼び名です 光圀公は、一般には「中納言様」「光圀公」と呼ばれていました 若い時は、乱暴でしたが、中国の歴史書の「史記」を読まれてから改心しました 水戸藩は、唯一参勤交代が免除されていた藩です 光圀公は、8割以上は江戸の小石川にあった藩邸で過ごされています